少し前に、学校というものの役割は今後変わっていくかもしれないという内容でブログを書きました。
先日こんな記事を目にして、もはや現実に近づいてきているのではないかと感じています。
この記事は通信制を高校に進学を希望するという生徒が増えているという内容ですが、その理由を見ていくと、「学校は別に行かなくてもいい。時間のムダ」という考えが徐々に広まっていることも記述されています。
子どもたちにとって、最早学校は必要なものでなくなり、小学校や中学校は、保護者が仕事に行った時の預かり場所のような存在になっていくのでしょうか。
一昔前の自分たちのような世代であれば、学校は行かなければならない場所であり、高校へ進学するため、また大学へ進学するため、そして良い就職先に勤めるために、つまり次のステップを踏むために我慢していかなければならないんだ、ということを暗黙の了解で受け入れていたのだと思います。
そして、社会に出てからはあまり必要のない内容を学習することにも、それほど抵抗を感じず、こんなものなんだと何となく思いながら学校に通っていたのではないでしょうか(少なくても私はそうでした)。
しかし現在は、溢れる情報の中で、
学校で学んでも将来それほど役に立たないことがあること、
学校で学ばなくても稼げる仕事があること、
学校に行っていない子はたくさんいて年々増えていること、
そして何より、
学校に行かなくても方法を工夫すればいくらでも学べることがわかってしまいました。
コロナ禍においてそれが顕著になり、それがさらなる不登校の増加などにも繋がっているのだと思います。
だからこそ私は、今が学校の価値というものを見直すべき分岐点に立っていると感じています。
学校に行く価値はどこにあるのか。
私は以前のブログで、学校は「多様な人間、多様な考えがあることを知る場所」であると書いています。小さな社会の縮図であり、学校はその小さな社会の中で、将来起こりうるであろう苦難を乗り越えるための訓練をする場所であると述べています。
つまり、「人との関わり方を学ぶ場所である」ということです。
どんなに社会が変わっていったとしても、人との関わりを消すことは不可能でしょう。
究極、そうするためには自給自足しなければなりませんし、血を繋いでいくこともできません。
いろんな人を見て、自分はこうなりたいとか、逆になりたくないとか、こうなるためにはどうすれば良いのだろうとか、そういったことを自分自身が主体的に考えていく。
学校はそういう場にならなくてはないのではないかと思っています。
そのためには、我々教員も変わらなければならない。
今までのような考え方では、「オワコン」になっていくだけかもしれません。