小学校教員kosukedadの日記

思ったことをわりとはっきり書いていきます。毒舌かもです。

疲れの見えるこの時期、変化に気付けるように

更新が1か月以上も空いてしまいました。

 


年度末、年度始めの激務に加え、自分の子供の入学などでバタバタの日々となってしまい、なかなか落ち着いて書く時間が取れませんでした。

 


さて新年度、学期が始まった当初は緊張感から張り切って頑張っている子どもたちも、ここら辺で疲れが出てくる頃です。

 


環境は大なり小なり変わっているので、私たち大人でも疲れるのですから、子どももそれはもちろん疲れるでしょう。

 


疲れの兆候や子供の変化をいかに早くキャッチするか、これが学級担任の役割であり、保護者の役割でもあります。

 


兆候が見えただけで、時間が解決してくれるケースがほとんどなのですが、早く掴んでおくと傷も小さくて済むというのが、私の経験上から言える話です。

 


ではどんな観点で見ているのか、少し説明します。

 


①宿題などの提出物が疎かになる

②痛い所をしょっちゅう言うようになる

③アピールが強くなる

④表情が暗い

 


原因がはっきりしていない時などは、特に体の不調を訴えることが多いですから、気をつけて見ていく必要があります。

 


子供自身がはっきりした理由がわかっていることもあれば、何となく…みたいなはっきりしない場合も多いです。

 


人間関係が原因の場合は、聞けば答えてくれることが多く、解決の方向はつけやすいですが、疲れから来る体調の不調や、家庭環境から来る体調不良などは、簡単に良くなるものではありませんし、どうしてそうなったのか自分でもよくわからないという子が多いでしょう。

 


担任をしていると、多くの子供を預かっていますから、しょっちゅう調子の悪さを訴える子には、「大丈夫、大丈夫」などと言ってあしらってしまうこともありがちです。

 


これがその後、家で発熱したなどとなれば、信頼関係が揺らぐことになりますから、少しのことでもきちんとした対応が大切ですね。

 


学級担任が代わったばかりだと、この子はこういう感じの子なのかな、と思うことも多いのではないでしょうか。

 


大切なのは、自分だけで全てがわかるなんてことは思わず、人の力も借りることです。学年の先生、養護教諭などの方が変化に気付くかもしれません。

 


子供の微妙な変化に気付き、それを保護者に伝えれると、保護者は担任への信頼が厚くなります。

 


春の今の時期に限らず、変化に気付ける情報網を手にしておきたいものですね。

学年末の大切な区切り 学級納めの心得 #卒業式のサプライズ

学年末が近づいてきました。

 

学校によっては、小学校でもすでに卒業式を終えているところもあるようです。

 

私の学校はこれから卒業式ですが、一年は年々早くなっているなあという気がします。

歳を重ねたからでしょうね。

 

 

さて学年末を迎え、担任としても子供たちと一区切りつける時期になってきます。

持ち上がりが予想されている場合もあるでしょうが、区切りは大切です。

しっかりとお別れを一度する、というのが私のマイルールです。

 

ということで、今回は私が心がけている学級収めの仕方について述べていければと思います。

 

 

年中やっていることではあるんですが、少し意識的に3月やっていることを。

 

①「こういうところがあなたたちは伸びたよなあ」と呟く場面を増やす

 

自分たちの成長を可視化する、という感じでしょうか。

具体的に伸びた点を意図的に話してあげるようにします。

「今は何も言わなくても教室移動が完了しているもんな。チャイムが鳴っても席に着いていない時もあったのに」

「10分でこんなに書けるようになったんだなあ。書くスピードも調べる内容もすごいレベルアップしなよなあ」

「こうやって話をしていても目線がみんなこっちにあるよね。これ4月は出来ていなかったんだよ」

などなど…

 

 

②専科の先生や周囲の先生に対して、しっかりとお礼を言うように話す

 

3月、区切りをしっかりつけたいものです。

お礼をしたいという気持ちはあっても、子供によってはどのタイミングですればいいか、わかっていない子は多いです。

タイミングを間違いないようにしっかりと教えてあげることも必要です。

専科の先生であれば最後の授業の時に、

「ありがとうという気持ちがある人は、終わった後に個人的にありがとうを言いに行くといいよ」

と言いますね。

 

 

 

ここからは3月に急にやってもダメなことです。

 

③一年をかけて、今の自分があるのは周囲の人々のお陰であることを常に話していく

 

なんだなんだで、最後だけ「感謝を伝えなさい」と言っても形だけです。

色々な行事や出来事がある中で、常に今の自分たちがあるのは周囲の人々のお陰であることを話しておくことが必要です。

この積み重ねがないと、やっぱり形だけになってしまうと思うんですよね。

 

そして、一番感謝を伝えなければいけないのは誰かを常に考えさせ、機を逃す事なくきちんと伝えられているか、場面ごとに振り返りさせるようにしていましたね。

 

私はこれが一番大切だと思っています。

 

 

自分は高学年を持つことが多いのですが、いつも卒業式で疑問に思っていたことがあります。

 

よく卒業式では「呼びかけ」をしますよね。

その時感謝の言葉を述べることってあるわけですが、「先生方」「地域の方々」「お父さんお母さん」に対してありがとうを言う場面が大体あるのではないかと思います。

 

そこで私はいつも、子どもたちが一番感謝を伝えなければならないのは「学級担任では?」と思っていたのです。

この「呼びかけ」ってのは学年の先生や学級担任が作成するので、当然「自分たちに感謝しろ」なんて入れるはずないんですよね。

 

ですが子どもたちにとって学校生活で最もお世話になった人はやはり「学級担任」であることがほとんどですよね。

 

ここからは私のエピソードですが、ある6年生をを担任した時に卒業式で予定にはなかった「呼びかけ」を子どもたちが勝手にし始めたことがあります。

正確には「勝手に」ではなく、その当時の教務主任に「呼びかけの途中で担任に先生に向けて感謝を伝えたいので、予定にないことをします。よろしくお願いします」と伝えていたのですが。

 

これはあくまで一例ですが、「子どもたちが本当によく育ったなあ」と感動したことを今でも思い出します。

 

 

一年の終わり、私自身も子どもたちにしっかりと感謝の気持ちを伝え、区切りをつけて次年度に向かっていきたいと思います。

学校の先生という仕事を自分の子供に勧められるか

私の住む地域では、職員室の先生方のうち、半分くらいの方が親も学校の先生をやっている、という人が多いです。

 

これには2つの理由があると思います。

 

一つは先生という職業が子供にとって魅力的に映ったこと。

 

もう一つは学校の先生という職業しか、親も子供も知らないことによる

「なんとなく先生になろう」という動機。

 

他にも理由はたくさんあるでしょうが、私が聞いた話はこの2つの理由が多いです。

 

 

で、現在。

 

学校の先生という仕事を自分の子供に勧められるか、というとやはり勧めることはためらいますね。

 

今住んでいる場所は地方の田舎ですから、教員という仕事は周囲より給与面で恵まれていることは確かですが、仕事の実態を考えると、違う仕事をした方が、もっと極端なことを言えば、都会に出て好きな仕事をした方がいいなとも思います。

 

 

自分自身はというと、この仕事をしてきてよかったなと思うことはたくさんありました。

人や世代のつながりとか、季節毎の感動などはこの仕事ならではと思います。

 

よかったなと思うことは多いですが、それまでの道のりを考えると、かなり精神的にきつかった時期もありますし、理不尽な思いをしてきたこともありました。

 

これと同じような思いを自分の子供がすると思うと、やはり違うことをした方がと思うのです。

 

 

それでも、私が買い物などに子供を連れていくと、どこからともなく、

「先生!」

と声をかけられることがあります。

過去の教え子たちや保護者だったりするのですが、そのような場面で話をしていることが、特に長男あたりには魅力的に見えるようで、

「学校に行きたいなあ(職場に行きたい)」

と言うことが多いです。

 

決めるのは自分自身ですから、親がとやかく言う筋合いではないのですけどね。

 

・時間的にゆとりがあること(時間外勤務が少なくてすむこと)

・理不尽なことは理不尽だと言えること(我慢しなくていいこと)

・休みが取りやすいこと(代わりの人が必ずいること、責任を一人で抱えなくていいこと)

 

などがクリアされればいいのかなとは思いますが…

 

とにかくそれでも先生になりたいと思ってくれる人はいて、私の教え子にも来年度教員になる子がいます。

やはりうれしいものです。

 

やりがいを感じて仕事をしてほしいな、と心から思います。

 

 

 

もう一つの視点で私自身の考えを言うと、「世襲ばかりの業界にならないでほしい」という思いです。

 

いろんな幼少期を過ごした方々が学校の中で活躍してほしいという思いもあります。

 

私自身、教育業界とは親も全く関係していませんでしたし、むしろ今どうしてこの仕事をしているのかというぐらい、教員への動機は曖昧なものでした。

 

しかし、だからこそ見えることがあります。

 

学校の常識を疑ったり、少し違った角度から考える癖がついているのです。

 

いろいろな経歴を持った人の話は魅力的です。

今の職場でも、経歴が変わっている先生もいるのですが、そういう先生の話は本当に面白いです。

 

一度社会人になった人でもいいし、いじめられた経験がある人でもいいでしょう。

人に自慢できる実績が無くてもいいのです。私もそうですから。

 

ただ、自分の色々な経験を伝えられる人が、学校の先生になってほしいなと思います。

 

子どもたちにとって身近な人の体験を聞くことは、たとえ間接的ではあっても「経験すること」がつながるのですから。

教員の時短術:労働時間を削る方法とは?#教育 #時短

教員がブラックであることはすでに周知の事実ではありますが、例えば教員の労働時間が長いことなどは、教員自身の意識の持ち方が原因となっている点も私は否めないと思っています。

 

時短できるところはぜひ時短していきたいものです。

 

そこで私自身が考える時短の方法について紹介していきます。

自分自身がやってきたものもあれば、他の方が実践しているのを見ていいなと思うものも含みます。

 

小学校の学級担任であれば、大体できることだと思います。

取り組む際の留意点も併せて述べたいと思います。

 

 

①丸付けを子供にやらせる

隣の人と交換してやるのもいいですが、先生の丸をもらった人からミニ先生になって丸付けをするというのもいいです。

宿題などは係に答えを渡して、やらせることもできます。

もちろん最後は担任がチェックしますが、一度丸付けされているのでその手間は大幅に減らすことができます。

留意点としては、低学年はやらない方が良いこと、時々丸付けが適当になっていないか厳しくチェックすることなどです。

先生がちゃんとみているという気持ちをもたせることは、やはり小学生には必要です。また、漢字の書き取りは間違いを見逃すことが多いので私が丸付けをするようにしていました。

 

 

②宿題プリントの裏に回答を載せる

裏に回答を載せて丸付けまでを宿題として出します。子どもの自主学習の力をつけることにもつながりますし、私は一石二鳥だと思いますね。

まず提出率が上がります。

答えを写してきても、まずは目をつぶっていいいかと思います。

学級経営が安定してくれば、同じ時間を使うのにただ答えを写す不毛な時間がいいのか、一つでも新たな知識を得た方がいいのか、それをしっかり考えさせることで子どもたちの取り組み方が変わってくるはずです。

留意点としては、家庭の理解を得ることです。なぜこのようにするのか、どんな力をつけたいと思ってやらせているのか、通信や懇談などで説明をする必要はあります。

 

 

③テストは終わったらすぐに提出させる

単元テストなどは、終わったらすぐに提出させるようにしていました。その場である程度丸付けを進めることができるからです。

もちろんしっかりと見直しをさせてから提出させるようにしていました。

留意点としては、終わった後に何をするか見通しをしっかりともたせることです。

問題を解く速さは人によって違うこと、だからこそ自分にとって時間を無駄にしない取組が必要であることを理解することが大切です。

 

 

④友達にしっかり教えられる子から優先して教える

ちょっと不平等な感じもするのですが、授業の中でみんなが困っている場面があった時は、聞いて理解したことを友達にもしっかり伝えられる子から優先して教えるようにしています。

そうすれば教える人が必然的に増えていきますし、全員が終わる時間も短くなるからです。

留意点ももちろんあります。

私はこのやり方を子どもたちにも伝えて、効率よくやるためにそうしているんだとわかってもらうように心がけていました。

また教え方が粗末な子はいないか、教える子を選んでいる子はいないか、教えてもらわなければいけないはずなのに黙っている子はいないか、などをチェックすることも必要です。

学力には個人差がありますが、30人を担任1人が常に面倒を見るのでは、パンクしてしまいます。

効率よく力をつけるの一つの方法として、使っていますね。

 

 

⑤係活動が機能するように支援する

子どもたちが自治的に活動するようになると、担任の仕事は目に見えて減ります。

持ち物や提出物のチェック、配達物の処理などはもちろん、子供が気づいた仕事をどんどんやらせてみるといいでしょう。

ポイントは「学級のためになること」。どんな小さな仕事でもいいので、一人一役が理想です(なかなかそうはいきませんが)。

細かいことに目を光らせなくてもよくなると、学級担任の仕事はグッと楽になります。

「最近○○くんが忘れ物が多いです」など、情報も子どもたちからどんどん入ってくるようになりますね。

 

 

⑥学級通信の発行数を減らす

実際に自分も子供がいるのでわかりますが、学級通信をじっくり読む時間は多くの保護者にはありません。教育に意識の高い家庭はしっかり読みますが、読んでほしいと思っている家庭にはなかなか伝わらないものです。

であるならば、発行数を思い切って減らした方が効率がいいのではないでしょうか。

定期的にではなく、本当に伝えたいことがある時に発行する形でいいと思います。

留意点の一つとして、学年を組んでいる先生に、「発行の数を揃えましょう」と言われることもあるかと思いますので、そこをどうクリアするかですかね。

自分はこう考えているので、と、あえて発行数を揃えなくていのではと私は言っていました。

 

 

放課後は校務分掌の仕事をすることがあったり、学年で相談したりといったことに時間を取られます。

 

ですから、学級事務はできるだけ放課後に残すことがないようにしたいですよね。そのために私なりに実践していることも含め紹介してみました。

 

全部ではなくても、できそうなことから取り組んでみるといいと思います。

身近な事柄に落とし込んで学ぶ:教員の役割#

私は一応社会科が専門なのですが(と言っても特にこれといって誇れるものはありませんが)、学びの中で意識していることがあります。

 

それは、「身近なものやことに落とし込む」ということです。

 

先日6年生と世界の各地で起きている紛争についての学習をしました。

 

紛争と言っても、子どもたちにとってはニュースや新聞で見る・聞くものです。

決して身近なものではありません。

 

とはいえ6年生にもなると、知識としてはそれなりにある子もいますから、いろいろなことを知っている子も多いのです。

 

しかし、私が大切にしたいのはその知識だけでなく、自分の身近にある事柄との関係についてです。

 

この時間では紛争が起こる原因についても取り上げます。

 

紛争の主な原因として、

①宗教の違い

②民族の違い

③政権の不安定

④大国の介入

⑤資源や土地の奪い合い

 

などが挙げられます。

 

子どもたちは、ちょっと尋ねると今あげたようなことは答えてくれますし、その他にもいろいろな理由を考えます。

 

「素晴らしいね、みんなは」

と褒めつつ、学習のまとめを終えるあたりであえて時間を余らせ、私は尋ねます。

 

「見た目をバカにしたりして喧嘩になったり、仲間外れをしたりすることってあるよね。民族の違いで紛争が起こるのとあまり変わらなくないかな?」

 

子どもたちは「あ、そうかもしれない」といった顔で聞きます。

 

一つ一つをちょっと噛み砕いて考えてみると、自分たちの身の回りで起こるような些細な争いは、紛争の要因と似ていることに気づいていくのです。

 

「○年生の時、学級のけじめがあまりなくて雰囲気が悪くて、しょっちゅう喧嘩してた。政権の不安定に似てる」

「上の学年の人に無理やり言われて、悪いと思いつつもいたずらをしたことがある。大国の介入だ」

「考え方の違いで人と合わないということもあるし、宗教とまではいかないけれど、信じているものをバカにされて許せなくなったことがある」

「ものを奪い合うのはしょっちゅうやってるかも。ボールをどっちのグループが使うかとか、この場所はうちらのものだ、とか」

 

たくさん出てくるのです。

 

 

私は知識として覚えることももちろん大切だとは思いますが、そこから何を考えるか、自分の生活にどう役立てようとするか、これらが一番大事だと考えています。

 

子どもたちに、それらについて考えるちょっとしたきっかけを与えることは、授業をしている教員が最も適しているのではないでしょうか。

 

全部の時間でとはいきませんが、どの教科でもこのような考え方はできるはずです。

 

この意識をもっていると、我々教える側も、この教科書の内容は日常生活のどの場面に役立つかを常に考えるようになります。

 

オープンエンドであまり結論を押し付けるようにしないことが注意点としてありますが、「考えるきっかけづくり」を意識して授業をしていきたいものです。

自己分析の重要性:冷静な判断力を育む学習プロセス

漢字や計算のドリル学習など、作業的な学習の進め方については、最近の学校が抱える事情を考え、昔とはかなり取り組ませ方が変わったなと感じます。

 

自分自身も以前述べましたが、ただ筆算を練習したり、漢字練習をしたりというのは、時代の流れにはそぐわないのではないかという思いがあります。

 

ですが現実として、学級ではドリル学習に取り組ませることもあるでしょうし、朝自習や家庭でで自学自習をする場面というのは必ずあるはずです。

 

以前のようにただ強制的にやらせる、というのは時代錯誤なのはわかっているとはいえ、完全に任せてしまうと、まだ気持ちの面で未熟な子どもたちですから、サボってしまったり、粗末に書いてしまったりすることもあるでしょう。

 

 

そんな場面で私が話すことは、「契約」についてです。

 

私は、締切について子どもたちに確認を取ることにしています。

「何月何日までにここまで終えましょう。いいですか?」

「はい」

返事をもらうのです。

 

返事した時点で「契約」は成立しています。

その納期に間に合わないと思ったら、その時点で

「先生、ちょっときついです。もう少し遅らせてもらえませんか」

と言えばいいのです。

 

ですから能力によって、納期に違いが出ることも仕方ないことだと思います。

 

子どもたちって、そこを考えずに周りの雰囲気に流されて、ただ返事をすることがあるんですよね。自分自身のこととしてしっかり考えてほしいのです。

 

そこを考えずに、締切に間に合わないのはまさに「契約違反」です。

 

契約を守らないのは社会に出たら致命的です。

その後仕事はもらえませんし、社会的な信用も失います。

 

今はその練習をしている段階で、学習したことを期日までに提出することなどは、今後社会に出ていくためのトレーニングの一環なのだよ、と子どもたちにも話しています。

 

私は経験ありませんが、子供によっては、

タブレットスマホでやっちゃえば簡単にできるから、繰り返しの漢字練習や計算練習は意味ないよ」

という子もいるかもしれません。

 

保護者も同じような意見をもっているかもしれません。

 

私にそんな話を言ってきたら、

「よくわかります。確かにそうですよね」

と言いながら、まだ現実的に学校教育の内容としてあること、そして先ほどの「契約を守る練習」の話をして理解してもらうように努めると思います。

 

自分自身を分析して、自分だったらいつまでにできそうだとか、先生は15日に提出しなさいと言っているけど18日まで伸ばしてもらわないと難しそうだとか、冷静に判断できる能力が育てば、それはとても意味のあることだと私は思います。

 

逆に、あなたなら時間を有効にさえ使えれば12日には提出できるはずだ、という自己分析の甘い子への指導もできると思いますしね。

 

「学び」というのは、ただ教科書の学習内容を身につけることではないのです。

表も裏もどちらも本物

3月も迫り、いよいよ学年末を迎える時期になってきました。

 

我々教員も、1年間の児童の様子を振り返り、成長した部分とまだまだ足りない部分などを分析するようになってきます。

 

自分だけだとよくわからなかったり、判断がつかなかったりするので、身近な先輩や管理職の意見も聞くなどして、確認するものです。

 

学級担任というのは、いつも子どもたちと一緒にいますから、確かに良い部分もたくさん見ているのですが、イライラする場面が多くなりがちです。

 

そこで第三者に意見をもらうと、自分のやってきたことが間違いではないことなどに改めて気づくことができるのです。

 

もちろんその逆もありますが…

 

 

さて、3月になると、子どもたちも次の学年を意識して、

「しっかりしなきゃ」

と決意する子が多いことも事実です。

 

ですから、良い行動が目立つようにもなってきます。

 

ただ、児童の成長は嬉しいものですが、その嬉しさは本物だろうか、と疑いたくなる時があります。

 

裏と表を使い分ける児童が比較的多くいるからです。

 

表面上、例えば、教師の見ている前では正しい行動ができても、仲間内や家に帰ってからは全く違う姿になる、なんて子です。

割と多くいますね。

 

SNS上でのトラブルが起こるときはこのケースが多いですね。

 

 

私の考えの結論を言うと、「どちらの姿も本物だ」ということでしょうか。

 

表の「しっかりしなきゃ」「よく見られたい」「正しいことをしたい」も、

裏の「ストレスを解消したい」「少しでも楽したい」「嫌いな子をやっつけたい」も、

どちらもその子が持っている本当の姿だということです。

 

私たち教員がすべきなのは、「どちらの姿もあなた自身である」ということをしっかり伝えてあげることだと思っています。

 

なぜならこのような子は、

「自分は本当は正しいことだけしたいのに、外的な要因があるからそうでないことをしてしまうのだ」

という考えをしがちなのです。

 

相手が悪口を言ってきたから言い返した。

わがままが許せなくて、仲間外れにしてしまった。

誰も見ていないから大丈夫だよ、と言われたからついやってしまった。

 

全て相手が原因であるという言い訳です。

 

私の場合、「正しいことをしたいのだ」という思いをもっていることはしっかり認めつつも、その行動をした「行動の責任」は自分自身にあることを理解させるように努めていますね。

 

どちらの姿もあなたなんだよ。

これから周りの人にどっちに見られたい?

自分自身にはどちらに見られたい?

 

子供といえど、いずれ大きくなって大人になります。

小学校に勤務する私ですが、子供が大人になるまでは本当にあっという間です。

親や先生が見て矯正する、なんてことはすぐにできなくなります。

 

実際SNS上では、保護者の目を離れて、未熟な子どもたち同士でのやりとりが行われています。

 

 

やっぱり結局は自分なのです。

 

子どもたちにも常にそれを伝え、自分自身でしっかりとした判断ができる人になってもらいたい、そんな気持ちで接しています。