3月も迫り、いよいよ学年末を迎える時期になってきました。
我々教員も、1年間の児童の様子を振り返り、成長した部分とまだまだ足りない部分などを分析するようになってきます。
自分だけだとよくわからなかったり、判断がつかなかったりするので、身近な先輩や管理職の意見も聞くなどして、確認するものです。
学級担任というのは、いつも子どもたちと一緒にいますから、確かに良い部分もたくさん見ているのですが、イライラする場面が多くなりがちです。
そこで第三者に意見をもらうと、自分のやってきたことが間違いではないことなどに改めて気づくことができるのです。
もちろんその逆もありますが…
さて、3月になると、子どもたちも次の学年を意識して、
「しっかりしなきゃ」
と決意する子が多いことも事実です。
ですから、良い行動が目立つようにもなってきます。
ただ、児童の成長は嬉しいものですが、その嬉しさは本物だろうか、と疑いたくなる時があります。
裏と表を使い分ける児童が比較的多くいるからです。
表面上、例えば、教師の見ている前では正しい行動ができても、仲間内や家に帰ってからは全く違う姿になる、なんて子です。
割と多くいますね。
SNS上でのトラブルが起こるときはこのケースが多いですね。
私の考えの結論を言うと、「どちらの姿も本物だ」ということでしょうか。
表の「しっかりしなきゃ」「よく見られたい」「正しいことをしたい」も、
裏の「ストレスを解消したい」「少しでも楽したい」「嫌いな子をやっつけたい」も、
どちらもその子が持っている本当の姿だということです。
私たち教員がすべきなのは、「どちらの姿もあなた自身である」ということをしっかり伝えてあげることだと思っています。
なぜならこのような子は、
「自分は本当は正しいことだけしたいのに、外的な要因があるからそうでないことをしてしまうのだ」
という考えをしがちなのです。
相手が悪口を言ってきたから言い返した。
わがままが許せなくて、仲間外れにしてしまった。
誰も見ていないから大丈夫だよ、と言われたからついやってしまった。
全て相手が原因であるという言い訳です。
私の場合、「正しいことをしたいのだ」という思いをもっていることはしっかり認めつつも、その行動をした「行動の責任」は自分自身にあることを理解させるように努めていますね。
どちらの姿もあなたなんだよ。
これから周りの人にどっちに見られたい?
自分自身にはどちらに見られたい?
子供といえど、いずれ大きくなって大人になります。
小学校に勤務する私ですが、子供が大人になるまでは本当にあっという間です。
親や先生が見て矯正する、なんてことはすぐにできなくなります。
実際SNS上では、保護者の目を離れて、未熟な子どもたち同士でのやりとりが行われています。
やっぱり結局は自分なのです。
子どもたちにも常にそれを伝え、自分自身でしっかりとした判断ができる人になってもらいたい、そんな気持ちで接しています。