多様な子が学級にいる中で、指導の一貫性というものが取れないことがあります。
同じように指導して、同じような反応であれば、担任は苦労しません。
ですが、そうはなかなかいかないものです。
特に、特性のある児童が学級にいる場合はこういった場面に出会うことが多いでしょう。
例えば、注意されると緘黙になってしまったり、家庭に問題があって遅刻癖があったり、担任に反抗して暴言を吐いたり…普通であればかなり問題のある行動をとる児童がいたとしても、いつも同じように指導するとただ怒ってばっかり…になりがちです。
そして、指導が入っていかないという状況に直面して悩んでいる学級担任も多いと思います。
特性、と言えば簡単ですが、実際は本当に特性が強い場合もありますし、グレーゾーンの子もいるでしょうし、学年が上がり大きくなるにつれ徐々にそういった行動が目立たなくなってくる場合もあります。
ですから、時と場合によって対応は変わってくるでしょうが、ここで話題にしたいのは、「指導が入っていかない状況」にどう対処するか、ということです。
指導が入らないというのは、できれば避けたいところですが、実際にはありますよね。
入っていくまでには、それなりの時間がかかるのです。
ここで私がフォーカスしたいのは、「指導が入らない児童」ではなく、「周囲の児童」です。
この周りの子への対応を間違うと、「先生はひいきしている」「特定の子は許している」という話を家庭でするようになったり、その場面を見ている他の子が担任の言うことを聞かなくなり、学級全体への指導が入りづらくなったりといったことが起こりえます。
私の場合、一番意識していたのは、「学級のすべての児童にきちんと説明する」ということです。
それが「平等である」というところにつながってくると思います。
平等というのはすべての子に同じ指導をするということではありません。
その子にとって、その時一番よい形で指導をするということです。
これを子どもたちに理解してもらうように努力することが大切なのです。
子どもたちに丁寧に説明していくことのです。
同じように指導することが、決して平等ではないことを。
なぜこの子は教室を出て行ってしまうのか。
そしてそれを無理矢理止めないのはなぜなのか。
どのように考えてそうしているのか。
この姿を見てみんなにはどう考えてほしいのか。
あなたたちはどう思うのか。
基本的には、
誰にでも弱いところはある、その弱さと今この子は戦っている。
みんなにも弱さはあるだろう。
その弱さと向き合わせるために自分はこういうスタンスで指導しているんだよ。
ということを伝えています。
この話をするタイミングも重要ですよね。
本人がいる前では話さない方がよいでしょうしね。
私はこういった時は、相乗効果を狙っていきます。
強い特性のいる子がいるときは、同じ学級にいる児童は、他者理解そして自己理解を深めるチャンスだからです。
こういう子もいるんだな。
自分はその子に対して、どう接していったらいいんだろう。
私ははあんな風に自分を出せていただろうか、ただ我慢をしていただけじゃないのかな。
そんなことを考える子が居たら、いいですよね。
大人になるチャンスなのです。
多様性を認めるとともに、自分がどういう存在なのかを知る。
そんな場所で学校は在りたいと思います。