1年生が入学してきました。
今年の1年生は、幼稚園や保育園からの引き継ぎから手のかかる子が多いと聞いていました。
実際、就学時健康診断や1日入学などでもその片鱗を見せていましたが、その時は数時間であり、それなりに猫を被っていた部分もあったようです。
入学して数日経ち、担任からいろんな声が聞こえてきました。
おしゃべりが止まらず、黙って座っていられない子がいる。
何度言っても廊下をダッシュする子がいる。
友達に暴言を吐き、中指を立てる。
友達のものを隠す事例が頻発する。
トイレに入っている子がいる中で、その個室のドアを外から蹴る。
注意した時に目が合わない。
発達障害の疑いがある児童が多いのも確かですし、本来なら支援学級に入級するような児童でも、保護者の意向で普通学級に在籍している子が何人もいるという状況ではあるのですが、どうもそれだけではないようです。
一つ気になったのは、問題行動をする多くの子が、とにかく「人のせいにする」ことです。
あいつがこう言ったからやった。
先にやったのはあっちだ。
追いかけられたから自分は逃げただけだ。
このような言い訳をすることがなんと多いことか。
「だから?」
私は言います。
「だから自分は悪くないの?」
「理由はともかく、その行為をしたのはあなたでしょ。その行為は悪くないの?」
と厳しく問いかけるのです。
しっかり目を見て話すと、1年生でもちゃんとわかります。
おそらくこれまではこうやって言い逃れしてきたのでしょう。
事の顛末を最初から最後まで見ることは、ほとんどの場合できませんからね。
私が見たのはその行為をした一瞬でしかありません。
だから理由なんて関係ないのです。
その裏側にある愛情不足などの何らかの原因を掘り下げるのは、この指導が終わって別の時間、何でもない時にすれば良いのです。
もう一つ気になるのは、「怒られるからダメだ」という考え方をする子が多いことです。
注意をした時に、よく「次からは気をつける」と子どもたちは言います。
私が「どうして?」と聞くと、
「怒られないように」
と言うのです。
怒られるから、という価値基準でいると、誰かが見ているところでは気をつけるけれど、見ていないところ、つまり誰にも怒られないところでは何をしてもいい、という判断になりがちです。
トイレでトラブルが多いことなどは、まさにそれに当てはまる事例でしょう。
ですから、私は「怒られないようにする」という考えは、間違っているよと言います。
何が正しくて、何が正しくないのか、自分自身で判断できることが大切なんだよ、と。
指導が終わると、何気ない話をします。
給食どう?
昼休みは何して遊んでるの?
お勉強は楽しい?
残さず食べてるんだ、すごいね。
ブランコちゃんと漕げるんだ。
さっき見たけど、お名前綺麗に書けてるよね。
先ほど少し触れましたが、問題行動のある児童の裏側には、自己肯定感の低さが垣間見えます。認めてあげると、本当に嬉しそうにするのです。
学校という場で失敗を繰り返しながら少しずつ成長していって、自分自身を好きになり、正しいことができる子に育っていってほしいなあと思います。
ただ、学校だけではうまく進まないのも事実。
この状況を踏まえて、保護者へのアプローチも考えていく必要も感じているのです。