私たちもそうですが、人は環境に大きく左右されます。
親が自分の子をなるべくいい学校に入学させたい(この場合の良い学校とは成績の良い学校・レベルの高い学校)のはなぜでしょう。
同じくらいの力の周囲の子を見て、切磋琢磨してほしい、もっと自分を高めてほしいと思っているからに違いありません。
逆に考えると、よくない環境を与えると、伸ばしていけたであろう本来の力をつけることなく大きくなってしまう、といったことがあると考えているのです。
私自身も、あくまで個人的な感覚ですが、人が持っている才能を発揮するためには環境が一番だと思っています。ごく稀に環境に左右されない天才的な人も居るとは思いますが、そういった人は3%、いや1%ぐらいなのではないでしょうか。
ですから、特に高校受験の辺りから、必死になっていくんですよね。
ところが、もっと早い段階から環境について考えて行動する人は少ないですよね。
私立が充実していて幼少期から受験に挑むような、都市部に住む一部の家庭は違うかもしれませんが、おそらくそれ以外のほとんどの家庭は、自分の住む地区で一番近い幼稚園や保育園(職場に近いということで選ぶことも多いかもしれません)、そして指定された学区の小学校や中学校に入学するのです。
親自身の仕事もあります。
家庭の事情もあるでしょう。
その他にも様々な事情で選べない状況もあるかもしれません。
子供自身がある程度自立し、行動範囲が広くなる高校生ぐらいになると良いのでしょうが、やはり小さな我が子は親の都合という事が一番優先されてしまうのです。
まあこれは仕方ないことだと言えます。
具合が悪くなった時すぐに迎えにいけないと困りますし、自分の子供がどのくらいの力があって何が得意かわからない部分も多いですからね。
ただ、この小さい時の環境というのも、今後に大きな影響を与えるものと私自身は思っています。
ですから、私たちのような公立学校の教員は、子どもたちにとって学校がより良い環境であるために努力しなければならないのです。
より良い環境とは何か。
当たり前のことが当たり前に通じる。
正しいことが認められる。
お互いに高め合おうとする。
平等である。
成功体験・失敗体験を積み重ねることができる。
認めてくれる人がいる、認められたい人がいる。
集中して取り組める空間になっている。
意味のある学びができる。
ざっと考えてみて思いついたのがこの辺りでしょうか。
学級担任、学校側がこういったことを意識して、子どもたちにとってなるべく良い環境を作ってあげることが、この国の公教育を守っていくことにつながるはずです。
とはいえ、これを実践するのはとても難しいのです。
一人一人の理解力や家庭環境が全く違う子どもたちを相手にするのですから。
教員になる人材も、不人気職業のレッテルが貼られている今、優秀な人材はなかなか入ってきません。
だからこそ、チームで取り組んでいくことが必要でしょう。
学級担任制などという、1人の責任に押し付ける形ではない形で進めていくことが今後はますます大切になってくると思うのです。