学校には校内研修というものがあります。
より良い授業について、研究のテーマを学校で決め、そのテーマに沿って1年間研究していくというものです。
主な活動としては、年に何度かの研究授業を行い、教員全員で協議をするなどの活動をします。
学校現場に居る人以外は余り目にすることのないものですが、現場の中ではかなり大きなウエイトを占める業務です。
学校の基本は日々の授業、ですからね。
研究授業の際は指導案というものを作成するのですが、これがまたなかなかの時間と労力を要します。1時間の授業のために、莫大な時間と労力をかけて準備するのです。
基本的には、研究をもとにして、その成果を日常の授業に役立てていこうという趣旨ですが、しっかりそのようになされている学校もあれば、研究授業の時と日常の授業がかけ離れていて、なかなか生かされていかない、という学校もあるのではないでしょうか。
この校内研修は、学校全体である一つの教科に絞り、その教科を学校全体で研究していこうというものもあれば、あるテーマに沿って各教科で研究しようというものまでさまざまあります。
どの教科を研究するのであっても、例えば、算数の授業について協議をする場であれば、「算数というのはこうあるべきだ」「この単元のねらいはこうだから、このように発問すべきだ」といったその教科の授業をどう捉えるかや、子供に知識や技能をつけさせるための指導の仕方についてなどを協議することになります。
そうして1年間研究した成果や課題を、研究のまとめとして研修主任を中心に整理し、研究紀要として冊子にしている、という学校が多いかと思います。
さて、このような校内研修の姿も、私は今後は変わっていくのだろうな、と思っています。
先日「新たな教師の学びの姿とは」でも述べたように、教員一人一人の主体的な研究へとシフトしていくのかな、ということです。
現職の教員であればイメージしやすいと思うのですが、大学の附属小学校などの先生は個人研究をしていますよね。あんな感じを考えれば良いのかなと思います。
例えば、筑波大学附属小学校の公開発表会には、全国から多くの教員が集まりますが、筑波大附属小の先生方もそうですよね。
一人一人がやりたい課題を見つけ、その課題に向かって研究していくということを、公立の普通の小学校や中学校でも行われるようになっていくのではないかと思うのです。
このような研究になったときに、教員一人一人の差がはっきりすることも出てくるでしょう。
先ほど挙げた筑波大学附属小学校の先生方の授業は、参観者の中には批判的な考えを持つ人もいると思いますが、それは覚悟の上、自分の考えにしっかりとした信念を持って提案しますからね。
では、チームとしての「学校」や「教師集団」の役割は、研修の分野では無くなるのかというと、決してそうではないと思っています。
「主体的な研究」と「独りよがりの研究」とは違うからです。集団が高め合っていかないと、それこそ磨き合う場が無くなり、誰も自分の研究に意見を言わない、ただ単に「独りよがりの研究」になってしまうと思うからです。
その結果、研究の方向が合っているかどうかわからず、迷走してしまうことになってしまうのではないでしょうか。
ですから、お互いに言いたいことを言う場は必要なのです。
ただ一つ言えることは、教員も誰かが敷いたレールの乗って研修するのではなく、自らがレールを敷くという意識をもたなければならないということです。
これからは、教員自身も主体性が問われることになっていくに違いありません。