「頭がいい」とはどういうことなのでしょうか。
私も含めて多くの親は、我が子に「頭のいい子に育ってほしい」と願います。
しかし、「頭の良さ」って一体なんでしょうか。
今回はこのことについて考えてみたいと思います。
私は人々が求める「頭の良さ」というのはここ数年で大きく変わったと思います。
一昔前だと、処理能力の高さ、つまり計算が速いとか、知識が豊富ですぐに答えが出てくるとか、間違いが少ないとか、つまりテストで高得点を取れるような子が「頭のいい子」だったように思います。
大人社会も同様で、「みんなができることを、人よりも速く、正確に、たくさんできる」のが、仕事ができる、頭がいい、という考え方だったように思います。
でも、今は違ってきているのではないでしょうか。
社会の仕組が大きく変わったことで、求められる頭の良さというのは大きく変わりました。
「みんなができること」はAIが人間よりも速く処理してくれます。
どんなに間違いが少なくても、速く処理できても、相手は日々進化してくAIです。
はっきり言って分が悪いのです。
ですから今は、
「できないことはたくさんあるけれど、これなら人に負けない」
ということが大切になってくるはずです。
私たち親は、どうしても周りの子と比較してしまいます。
うちの子はあの子よりもテストの成績が良い。
あの子ができるんだからうちの子もできなきゃダメだ。
なんであの子はできるのにうちの子はできないんだろう。
そんな気持ちになることがあるでしょう。
しかし、あまり気にする必要はないのではないでしょうか。
これから求められる力は、そうではないのだろうな、と思うからです。
自分をしっかり持って、
自分はこうだ。
自分はこれなら負けない。
自分の強みはこれだ。
ということが必要なのです。
私も親として焦る瞬間があります。
「そんなことしてるの、あなただけだよ。ダメでしょ!」
「あの子はできてるのに、どうしてできないの」
言ってしまうことがあります。
反省です。
さて、「頭の良さ」に関する概念が変わりつつあることは、私自身、学校現場で教員として子どもたちと接する中でも、ここ数年よく言うようになりました。
そして、保護者面談や学級通信などでも、このような内容を話したり書いたりすることが多くなりましたね。
そんなに簡単に自分の強みなんて見つからないよ、と言う人も多いでしょう。
全くその通りだと思います。
そして、学校の評価システムが、まだまだ旧態依然の評価の仕方であり、個人の強みを評価できるほど、体制もできていないし余裕もないことも事実です。
だから学校教育はオワコンだと言う人もいますよね。
ただ、最近は学校現場の中でも、管理職の中にも、学校教育の未来を憂い、変革をする校長たちも出てきています。
誰かと比較するのではなく、過去の自分と比較をする。
経験を生かし、自分なりの判断基準で物事を考える。
そんな子が増えてくれば、これからの未来も明るいだろうなと思うのです。