学校にいると毎日のようにいろいろな出来事が起きます。
特に生徒指導上の案件などは、毎年のように似たような話が起こるものです。
学年も変われば子どもたちも変わりますから、それはある程度仕方のないことなのですが、同じような案件が同じクラスや学年からそれほど時期を空けずに出てくる場合には注意が必要です。
対応が対処療法的になっていると見ることができるからです。
日々起こる問題を、次に生かしていないという現実が見えてきます。
これでは担任も気の休まる暇がなく、子供との関係もますます悪くなり、さらに問題が出てくるという悪循環に陥ってしまいます。
そうならないためにどうすればよいのでしょうか。
そのためには、やはり
「一つの出来事から学びを広げる」
ことが必要なのです。
例を一つあげましょう。
私の地方は雪が降ります。
ある雪が降りしきる冷えた朝、通学路の坂道で児童が何人も転んでいたという情報が入りました。
職員の朝の打ち合わせで担当教員が、
「坂道は気を付けて歩くように指導してください。ロープが張っているところをつかんで、ゆっくり歩くようにと注意をお願いします」
と話しました。
そして朝の会で学級担任は、打ち合わせ通りに学級の子どもたちに話しました。
さて、どうでしょうか。
これは学びの広がりには繋がらないと私は考えます。
なぜなら、子供の中に残るのは、
「坂道の歩き方については気を付けることがわかった」
というだけになるからです。
この事例から考えさせたいのは、
・坂道で転ばないようにするにはどうすればよいか。
・他に危ないところは通学路の中に無いだろうか。
・滑って危ないという以外に危険な場所は無いだろうか。
・危ない場所ではどのようにすればよいのか。
・下の学年の子に声を掛けるとしたら?
などなど、ちょっと考えただけでもたくさんあるのです。
これまでに体験したこと、見かけたこと、聞いたことなどを掘り下げて、いろんなパターンがあり、いろいろな対処法があることを子どもたちの口から出してあげる必要があるのです。
時間を掛けたくないという思いはあるかもしれません。
子どもたちに話を聞いていると、核心の部分に行くまでになかなか辿り着かないことも多いからです。
それでも、やはり子どもたちに考えさせる必要があるのです。
応用できる力、活用できる力が無ければ、これからはなかなか通用しないのではないでしょうか。
計算ができる、漢字が書ける、言ったことをそのままできる、では、AIがどんどん社会に入ってくる今後は取って代わられてしまうと思うのです。
どんな小さなことでも、そこから学びを広げることができるか。
その視点を教員が持つことができるか。
それが大切だと、私は思うのです。