最近、強い子供を育てていくにはどうすれば良いのだろう、ということを考えます。
自分が子供の頃のことを考えてみると、昔は何も考えないで生きていたなあと思うんですね。
厳しい親や先生がいて、とりあえず言うことを聞いていれば、なんとなく正しい方向に導いてくれるだろう、という漠然とした思いがあったからだと思います。
今は時代が変わりました。
いろんな情報が溢れるようになり、選択の幅が増え、親や学校の半強制的な導きも少なくなってきました。
自分で考えて、自分で選択していく時代になったと言えるのかも知れません。
子供にとっては、逆に難しい時代になったなと感じます。
子供ながらにして、自分がどうあるべきか決断することを求められるからです。
言い方を変えれば、嫌なことからはすぐに逃げ出せるようになってきたとも言えるのです。
もちろんこれには良い面がたくさんあります。
例えば、いじめや暴力などからは絶対に逃げることが大切ですし、特性を持っていて集団生活に馴染めない子などは学校に登校しないことも選択肢の一つでしょう。
部活動などでも、一つのことを辞めないで最後まで続けることが最大の価値だった時代から、適性に合わせて辞めることや、いろんなスポーツや文化活動に同時に挑戦することなどを認める時代になってきました。
良い面はたくさんあるのです。
ですが、最近は簡単に逃げるなと感じる子が多いのも事実です。
私の勤務校でも、友達と喧嘩したからという理由で欠席する子、ゲームをしたいからと不登校になる子、特定の行事に必ず欠席する子、そういった子が結構いるのです。
嫌なことは誰でもあります。
これは大人になってからも、嫌になる程あるわけです。
当然、いじめや暴力、ハラスメントなどの逃げなければならないものもありますが、逃げずに立ち向かっていく強さも必要なのではないかと思うのです。
では、どうすればそんな強い子にできるのでしょうか。
一つはモチベーションの高め方だと思います。
評価する側の人間が、結果を求め過ぎていないか、と言うことを考えなければならないと思うのです。
「○位になれてよかったね」
「次は○位を目指して頑張ろう」
などと言っていませんか。
私も息子についつい言ってしまいます。
大切なのは結果ではなく過程であり、相手は自分自身にあることを伝えていく、そしてできた時には、それをきちんと見て、認めてあげることなのかなと思っています。
得意不得意は誰にでもあり、苦手なことに向かっていく場面も必ずあるんだということを子供のうちからしっかり体験しておく必要があるのではないでしょうか。
苦手なことに挑んでよかったな、という思いが次への挑戦へのモチベーションになるのではないかなと思います。
私の学校を例にとると、マラソン大会という行事があります。
この行事、一部の子を除いてほとんどの子が嫌な行事です。
私も長距離走は速くないし、苦しいですから気持ちはよくわかります。
担任は、ひと月も前から、「マラソン大会に向けて頑張んないとね!」と幾度も言うわけですが、子どもたちはそれを頷いて聞いてはいるのです。
ところが…玄関先で聞く本音はまた違います。
「嫌だ嫌だ」
「雨降らないかなー」
と言っている子どもたちがたくさんいるのです。
ただ、実際にマラソン大会の様子を見ていると、お家の人が見ている効果もあるのか、みんな一生懸命で、玄関先での本音を聞いて心配していたことは全くありませんでした。
子どもたちなりに嫌なことからでも逃げ出さずに、自分の弱さと戦って勝ったんだな、と思ったのです。
苦しんだ先にさっぱりした気持ちがあったとか、やり切った充実感とか、そんな気持ちになったという感想を聞くことができて嬉しかったですね。
学校というのは、多様化する社会の中でこれからもっと個々の子供に合わせた指導や支援が求められるようになるでしょう。
その時、個々に合わせるがあまり、ほんの少しのハードルすら片付けてしまうような、そんな教育にはしたくないな、とも思います。
適性に合わせて自由に、でも心の強い人間を育てていく、そんな学校にしていくにはどうすればいいのだろうと、今もずっと考えているのです。