学校行事のこれからの方向性を考えることが多くなりました。
これまで毎年のように当たり前のように行なってきた学校行事。運動会、学習発表会、入学式、卒業式。遠足や校外学習、修学旅行や林間学校など…
挙げればきりがありませんが、この他にも細かいものを含めるとたくさんあるわけです。学校現場はこれが終われば次はこれ、場合によってはこれとこれ、というように同時進行で複数の行事を進めていくことも少なくはありません。
今回は、教員側の視点である、負担が大きいという話がメインではありません。
働き方改革の面から見る学校行事の精選については、また別の機会に話したいと思います。
私が最近思うのは、
「一人一役を与えるような行事は、これからは無くしていくべきではないか」
ということです。
例えば学習発表会における劇の配役であるとか、運動会の選手宣誓であるとか、そういうものです。
コロナ禍で出席停止の子がたくさん出るようになりました。
最初はパニックだった学校現場も、欠席する児童がたくさんいたとしても、自然な形で学習を進めることができるようになりました。
欠席することに抵抗を感じていた子どもたちや保護者も、それほど抵抗を感じることなく学校を休んだり登校したりできるようになりました。
学習面の定着がどうかということに関しては、これから数年先を見てみないとわからない部分はありますが、そもそも今の学習内容や授業の進め方が正しいのか、疑問を持った人も少なからずいるように思います。私もそうです。
今ではラーケーションと呼ばれる、家族行事、つまり旅行などを理由にした欠席を認める動きも出てきています。
つまり、学校は、いつ休んでも良いところになりつつあるのです。
その中で果たして、一人に役目を与える行事はいるのか、と思うのです。
今、私の勤務する学校でも、学習発表会の練習に入っているのですが、同じセリフを二人に言わせるなど、誰かがいつ休んでもいいように学年の先生方が気を遣っているのがわかります。また、大きな役は、普段から欠席の少ない子に任せるようにしているようです。
そこまでしてやる必要があるのかな、と思うんですよね。
私も子を持つ親ですから、行事を楽しみにしている気持ちはわかります。
ですが、人々の考えは多様化しています。
運動会や学習発表会には、同じ日に習い事の発表会があるとか、スポーツの大会があるということで参加しない児童も毎年一定数出るようになりました。
昔はあまり考えられないことでした。
土日に行う行事の調整に関しては、前年度のかなり早い段階で、その時点での各団体の予定と擦り合わせながら決定するのですが、この段階でも、部活動が学校と切り離されるようになってから、各種団体が行う大会等が乱立するようになり、土日の行事の調整は大変困難なものになっています。
土日に児童を全員出席させること自体が本当に難しくなっているのです。
「うちの子ですが、○○の大会があるので学習発表会に出られなくなりました」
練習が進んでいる段階でそれがわかって、当初の計画を見直している現場の仲間を見ていると、この役割(行事)はなくてもいいのではないか、と本気で思ってしまうのです。
行事自体を行うことは否定していません。
楽しみにしている家庭もありますからね。
やり方ですよね。
学校はどうしてもたくさんの人の要望を聞き過ぎる傾向にあります。
多数の意見も一部の意見も、保護者が求めているからという理由でどちらの意見も取り入れてしまうのです。
無くすることが無理であれば、たくさん練習が必要なことは極力無くし、全員が一斉に何かをする発表にするとか、やり方を大きく変えることが必要だと思います。
「前例を踏襲することは正しい」という考えを捨てることが、学校現場に今最も必要なことなのではないか、と思っているのです。