3月ということで、年度末、進級や卒業を控える時期となりました。
小学校ではこの時期、卒業生に向けて「6年生を送る会」「卒業生を送る会」などの行事が行われます。
5年生が中心となって会の進行を行い、各学年から発表やプレゼントなどを贈る、という会ですね。どこも大体内容的にはそんな感じかと思います。
そんな6年生を送る会が私の学校でも行われました。
今年の6年生を送る会は体育館で行われましたが、全校で集まって行ったのは、実に4年ぶりになります。
コロナ禍が始まった令和元年度の3月。全国一斉休校があった年ですね。
その年は私は5年生を担任しており、準備万端、あとは本番を待つのみといった感じだったのですが、直前の休校となり、行事は中止。とても残念に思ったことを覚えています。
そこから令和4年度の今回まで、事前に録画したものを映像で流したり、6年生だけ体育館に入って入れ替わりで学年の発表を行ったり、さまざまな工夫をしながら送る会を行ってきました。
それはそれで工夫があってとてもよかったのですが、全校が一堂に介して行う今回の形はやっぱり良いですね。
ああ、こんな感じだったなあ、と強く感じました。
とても温かい気持ちになれる行事ですからね。全校でおめでとうを伝えるって、やっぱり響きます。卒業する6年生も嬉しかったことでしょう。
6年生を担任する事が多かった私の経験として、子どもたちもここから一気に卒業に向けて気持ちが盛り上がっていくんですよね。一段階大人になるのです。
さて、少し話は変わりまして、久しぶりの全校で集まる行事を終えて、考えたことをお話ししたいと思います。
教員の立場での話ですね。
全校で集まるとはっきりする事があるんですよね。
それは「学級経営・学年経営の差」です。
例えば、
全校集会で各学級から体育館に入場して整列するまでの様子。
学習発表会や今回の送る会のように各学年で発表する内容。
誰かの発表を見ている鑑賞の態度、反応。
そういった部分を見るとはっきりとわかるんですよね。
ああ、自分のクラスは(学年は)ここが至らないなあとか、あの学年みたいにノリよく発表させたいなあとか、どうしてあのクラスは先生が何も言わないのに静かに綺麗に並べるんだろうとか、そういった事を感じる事ができるわけです。
やっぱり、比べることや基準を見つけることは大切なのです。自分がどんなクラスにしたいのか、どんな子どもたちにしていきたいのか、身近に手本があれば、明確に目指す事ができますし、必要であればアドバイスを求める事だってできますからね。
こういったことを感じれない学級担任は、やはりクラスが荒れますね。
で、考えてみると、そういう事を感じる場面がこのコロナ禍では無かったなあと思うわけです。
これは若い採用されたばかりの教員から経験の場を奪ったと言わざるを得ません。そういった意味では気の毒だなあと思います。
学級担任は普段は自分の学級のことに常に追われて、他の学年がどんな事をしているかまではなかなか目が行きませんからね。
振り返って考えてみれば、自分も学年の違う先生に対して、「あの先生のクラスの子たちいいな。どうやったらあんなクラスになるんだろう」と、憧れを抱いたりしました。職員室で話をよく聞きに行っていましたね。
全校で集まる場面というのはそういう意味で貴重だなと、このコロナ禍を通して改めて感じたのです。