以前、「修学旅行は必要か」という話をした事がありました。
実は私の勤務する小学校でも修学旅行があり、ついこないだ帰ってきたばかりです。
そんな中で思う事があったので、また修学旅行を話題に書いてみたいと思います。
『修学旅行は何を目的にしているか』
というのが今回のテーマです。
修学旅行を行うことのメリットデメリットについては過去のブログで書いていますので詳しくは触れないことにします。
そこで今私が思うのは、学校側と児童・保護者側の目的意識の違いが年々はっきりしてきているなあということです。
簡単に言うと、
「学校は学んでほしい」
「児童・保護者は楽しんでほしい」
ということです。
極端に書きましたが、修学旅行に関して、保護者から6学年に電話が来ることがあります。
「この班は嫌だと言っている。変えてくれないか」
「新幹線の座席はどうしてこのような座席になったのか。うちの子だけ仲の良い子から離れていないか」
「うちの子は○○に行きたいと言っていた。なぜ今年はコースから無くなったのか」
修学旅行の目的は保護者説明会でしっかり説明していますし、班編成なども学年で子どもたちに何度も確認しているのです。
それでもこのような電話が何度も来ることになります。
結局は、児童も保護者も「自分が楽しいかどうか」「嫌な思いをしないか」が大切であり、
「何を学んでくるか」「成長のきっかけになったか」なんてことはどうでもいいのです。
わかります。自分も子を持つ親として、修学旅行で何を学んできたかなんてどうでもいいと思うかもしれません。
であれば、です。
修学旅行は何のためにあるのでしょうか。
今回私の学校の6学年は丁寧に事前指導を行い、「修学旅行で学年としてどんな足跡を残してくるか」ということを子どもたちに熱心に話していました。
学年として規範意識や一体感に課題があり、自分が良ければという意識を変えていきたいという思いを踏まえて、修学旅行の意味を子どもたちに伝え続けてきたのです。
総合的な学習の時間や学級活動の時間を利用して、話合い活動や自主研修の計画などを行ない、子どもたちも一生懸命やっていたように思います。
そして、実際の修学旅行でも、良く頑張っていたという話を聞きました。
それでも、終わって数日後に
「子供が嫌な思いをしたと言っている。詳しく話を聞いてほしい」
「自分の子供だけ並んでいる写真の中で離れているのはどうしてか?(ちなみに児童本人は何も気にしていない)」
などという電話がありました。
結局、集団を見るか、個人を見るか、という話なんだろうなと思います。
もちろん引率する教員も一人一人には目をかけますが、集団を動かすことがメインになりますし、親のようには見ることはできません。
このようなことが重なると、やってられないよなと思うのも当然のことなのです。
こういう現実を伝えた上で、修学旅行は必要か必要でないかを、それぞれの学校と保護者で真剣に話し合うことが必要なのではないかと思っています。
働き方改革が叫ばれ、行事の精選をしましょうということもずっと言われていることですが、もともと昔から行事はたくさんあったのです。
今はその一つ一つの行事に対する負担が何倍にもなっていて、教員自身も楽しめない行事が多くなっているのです。
団体旅行が大きく減り、大きな観光ホテルで大宴会をする、なんてことも少なくなりました。個人の時代です。
修学旅行も過渡期なのかもしれません。
小学生でも仲の良い友達同士の家族で卒業旅行、というのが10年後くらいには定番になっているのかも、なんてことを思うのでした。