小学校教員kosukedadの日記

思ったことをわりとはっきり書いていきます。毒舌かもです。

修学旅行は必要か

6月が近づいてきました。

 

小学校では、学校を離れて行う行事がいくつかあり、校外学習や社会見学、林間学校や臨海学校、修学旅行などが挙げられます。6月はそんな行事がある時期です。

 

今回は特に宿泊を伴う行事である修学旅行について考えていきたいと思います。

 

 

多くの人は、修学旅行の思い出といって思い出す光景がいくつかあるのではないでしょうか。私自身も、行った場所や見学した施設はあまり覚えていませんが、友人と部屋やバスの中で話したことは覚えています。

 

これまでも「修学旅行は必要か」という議論はあったように思いますが、コロナ禍が一段落し修学旅行再開の動きがある中で、最近またそういう議論が積極的にされるようになってきました。

 

修学旅行は果たして必要なのでしょうか。

 

 

私自身が現場で働いていて感じていることを挙げてみたいと思います。

 

まずは修学旅行でいいなあと思う点を。

 

○自分では行かないような場所を見学することによって見聞を広めることができる

本来の修学旅行の目的といえばこれが一番でしょう。学校が考えた児童の学習のためになるであろうという施設や場所を訪れることで、知らなかった気づきや新たな発見や驚きを感じることができます。

 

○家庭的にこのような機会でもない限り旅行などには行かない児童が一定数存在する

片親である家庭や、金銭的に苦しい家庭などは、そもそも旅行というものに行きません。そういった児童には貴重な旅行の機会となります。また、私の住んでいる地域のような田舎では、金銭面では苦労していなくても、都会でのイベントや施設に行けない児童も多く、そういう子は本当に楽しみにしているのも事実です。

 

○その時の仲間と唯一無二の思い出を作ることができる

家族旅行では味わうことのできない、友達同士での思い出を作ることができること、これが修学旅行の最大の魅力でしょう。部屋で語り合う時間、みんなで一緒にご飯を食べたり風呂に入ったりする時間などはずっと心に残る思い出の1ページとなります。

 

 

次は問題点についてです。

 

●修学旅行という団体旅行ならではの割引があるとはいえ、高額な旅費が必要となる

学校自体の規模が少子化により小さくなっていること、また団体旅行そのものが減少傾向にある昨今は、団体割引の恩恵を受ける場面が少なくなっている気がします。また物価の上昇もあり、修学旅行はかなりの旅費が必要となります。

 

 

●どうしても世話役と呼ばれる児童が発生したり、人間関係に問題を抱えたりする児童にとっては良い思い出にならない可能性がある

多様な児童がいる中での修学旅行です。そこには人間関係が苦手で友達が少ない子、無口な子などもいます。そういった子を部屋やグループに分けるとき、教員側で配慮し、気の利きそうな子を充てるなどします。しかし、その子にとってはいい迷惑な話です。「本当はこうしたいのに」という気持ちがあっても我慢して修学旅行を過ごす「面倒見の良い子」が存在するのも事実なのです。

 

 

●体調や安全面などへの配慮、気が休まる暇のない勤務体制でで引率する教員には相当のストレスがかかる

発達障害のある児童はもちろん、グレーゾーンにある児童なども、突拍子もない行動を取ったりします。引率する教員はそういった面に常に気を使い続けなければなりません。

夜は夜尿が心配な児童を起こしたり、部屋の見回りをしたりとそれこそ徹夜覚悟の勤務となってしまいます。まあ、教員には「超勤4項目」というものがあり、修学旅行などの学校行事では校長は教員に超過勤務を命じることができるのですがね。

もちろん、旅行に至るまでの準備についてはいうまでもなく、児童のグループ編成などは大変気を使います。保護者への説明が必要なことも多く、「行くまでに疲れる」というのは教員あるあるです。

 

 

現状、修学旅行の目的は思い出作りです。これは児童も保護者もそう思っている部分が大きいと思います。名目上は教育的なねらいがありますが、はっきりいってそれは形骸化しているといっても過言ではないでしょう。

であれば、そこまで遠方に行く必要はないかもしれません。泊数も減らしてもいいでしょう。自由参加にして外部委託することも一つの方法かもしれません。

 

 

まあ、どんな選択をしても問題は残るでしょうし、全員が満足する形の決着はないものですが、地域の特性や児童の実態を鑑みて、いろいろな形の修学旅行があるべきなのではないでしょうか。