子供とやり取りしていて、イラッとしてしまうことがあります。
教員も人間です。
相手が子供とはいえ、失礼な態度を取ったり、嘘をついたり、自分のことを棚に上げて話したり…とまあ、日常的に色々あるわけです。
私たちは大人ですから、できるだけ冷静に対応するのですが、イラっとすることはたくさんあるんですよね。
私はもともと短気なので、若い頃は特に毎日のようにイラッとしていたものですが、最近逆の意味で面白くなって来たというか、そういう言い訳の仕方があるかー、と感心することもあるのです。
ということで今回は、少し子供とのやり取りの中でのエピソードをお話したいと思います。
低学年の児童の話です。
その子はもともと少し特性のある女の子で、何か自分の中でうまくいかないことがあると、泣くだけでなく完全に活動が停止してしまい、1時間とか2時間とか別室でクールダウンして、ようやく戻ってくるというような子です。
学級担任がその子と話をしていました。
どうやら体育の時間に使うはずだった縄跳びを忘れてしまったようでした。
案の定、忘れた時点で固まってしまい、体育の時間はただ泣いていたようでした。
体育が終わったあと、担任は教室の隣の部屋で話をしていたのですが、その子は何も反応せず、まだまだ時間がかかりそうです。
次の時間の授業もあるので、私が様子を見ると言ってバトンタッチしました。
しばらくは様子見です。
私もその子のことを時々対応することがあるので、少しはわかっているつもりです。
タイミングを見計らいます。
この辺かな…と思ったところで、
「そんなに隅で泣いていても顔が見えないから、椅子に座ってよ」
座りました。
少し動き出したのです。
しかしここから机に突っ伏したまま、なかなか顔を上げてくれません。
話題を変えたりして、促してみますが変わらず。
なかなか手強いのです。
ここからまた数分後話しかけてみました。
「縄跳びどうする?次もまたやるんでしょ。忘れないためにどうしようか」
「どうせ忘れるんだもん」
ついに均衡が破れました。会話が始まったのです。
どうせ忘れる、という彼女の理屈に対抗するためにこちらも知恵を絞ります。
選択肢を3つ用意しました。
①お母さんにお願いする
②自分で忘れず持ってくる
③持ってくることは諦めて、体育ではエアー縄跳び(飛んだふりをし続ける)をする
一応、
④それ以外
も言っておきました。
すると、①~③どれも嫌だというのです。
何となく予想はしていました。
それなら、
「④の選択肢を自分で考えてよ」
どうやら具体的にはそれは無いようでした。
「④が無いなら①~③の3つから選んでよ。先生的には、②がいいと思うんだけどなあ」
「忘れないようにしたいけど、忘れるんだもん…」
②でいいという意思を出して来たので、私はさらに提案します。
「忘れないためにどうすればいいか考えようよ。」
「そうだ。手に書くのはどう?」
「お友達に見られると恥ずかしい」
高学年でも書いてる子いっぱい居るんだけどなあ、なんて言っても当然通じません。
「じゃあ、宿題のプリントに書くのは?」
「仲良し会(放課後預かり)でやっちゃうから、家では見ないもん」
そうかー、確かに。高学年にはよく使う手法も通じない。
次の手を打ちます。
閃きました。
「マスク!マスクの端っこにペンで書こう!そうすれば誰にも見られないし、家で最後取るでしょ」
「ペンを教室に取りに行ったら、書いてるのみんなにわかっちゃう」
「ようしわかった。先生職員室から取ってくる」
こうなればとことんです。面白くなって来ちゃってました。
取りに行ってペンを渡すと、
「マスクが涙で濡れちゃって書けない」
そう来ましたか。
「予備のマスク先生取ってくるよ!」
こんなやり取りをしているうちにその子はクールダウンできたのか、その後ようやくマスクの隅にメモをして、普通の状態に戻ったのでした。
とまあ、こんな出来事だったのですが、こういう子に学級担任が対応するとなると、他の子を放っておく時間が発生してしまいます。
今の私はこのように対応できましたが、担任の立場だったらどうだったでしょうか。
かなりイライラして、その子に対する態度も厳しくなっていたかもしれません。
人を増やすことがお互いに気持ちが焦らずに過ごせる最大の支援なのだよなあと、改めて思うのでした。