集団の美しさを求めるのはもう古いのでしょうか。
多様な児童に対して、一人一人に応じた支援が求められています。
逆に言えば、一律の指導・支援が難しくなっている中で、どの子にも同じ結果を求めるようなことは果たしていいのかどうか。
そんなことを考えるのです。
例えば運動会。
手足が大きく上がり揃った行進。
例えば学習発表会。
一糸乱れぬ身体表現やダンス。感情を込めた劇。合唱や合奏。
例えば卒業式。
ピクリとも動かない姿勢。全員が揃ったお辞儀。
担任は全体の雰囲気というものをやはりとても大切にしますし、完成度ということも求めたくなります。
入場行進が手足が大きく上がって揃っていれば、私はやはりかっこいいなと思います。
ですから私のことを振り返ってみると、それが正しい、そうやるべきだ、という指導をしてしまうことが多かったです。
まして高学年を持つことが多かったので、手本を示す必要があると厳しく指導していたこともありました。
しかし、今はそれは正しいのかと疑問に思っています。
難しい問題だな、と思います。
こういう所が、今の学校教育が時代遅れになっているという意見が広がりつつある要因でもあるのでしょう。
今学校がどこを目指せばいいのか、子供や保護者は何を求めているのか、それぞれがいろんな方向を向いて、いろんな意見が蔓延している状態にあると私は考えます。
学校は方々から出てくるいろいろな意見を、みんな取り入れなければならないという強迫観念に駆られ、あれもこれもと取り入れてきた。そんな現状でしょうか。
例えば、昔であれば1の労力でこなせる行事が、今は3倍、4倍の労力を使って行なっているような感じです。
こうやってあまりにも周りの要望に応えすぎようとしてきたため、教員の過重労働に繋がってきたのではないかと思います。
結局以前は一人で多数の面倒を見やすいような教育が行われてきただけのことであり、今はそうではない、ということでしょうか。
集団の美しさ、というものを考えているうちに、そんなことを考えたのでした。