世間が学校に求めているもの、それは「学力」なのでしょうか。
そしてその「学力」とは一体どんなものなのでしょうか。
長年教員をやってきた私が、今「学力」とは何なのか。
そもそもその「学力」とは必要なものなのか。
学校はどんな人材を育成するための場所なのか。
悩みながら考えています。
ここ数年で学校に対する周囲の見方は変わりつつあります。
コロナ禍における授業スタイルの変化。
一斉指導に対する疑問。
過重労働に対する教員の働き方の改革の方向。
部活動指導の地域への移行。
出席停止や不登校に対する考え方の変化。
以前のような「学校」という存在は、当たり前のもので無くなって来たことを受け入れなければならないと感じます。
私自身、こんな世の中になるなんて予想していませんでしたね。
ですがこれが現実なのです。
その上で、学校として、教員として何ができるか、それを考えていくことが今の私たちにとって必要なことなんだろうなと思います。
突拍子もないような考えが浮かんでいるので、読んだ方は不愉快になるかもしれませんが、思ったことを綴るブログなのでご容赦を。
今の時点で考えていることがいくつかあるのですが、今回は授業について述べていくことにします。
基本的な考えとして、常識にとらわれず、変えていくところは変えていくというスタンスで構えることが大切になってくるのかなと思います。
例えば、「手挙げのルール」です。これは、授業中は手を挙げることで発言することができるというもので、手を挙げないで発言した場合は教師はその発言は拾わず、手を挙げた発言のみを拾って授業を進めるというものです。例えその呟きがとても良いものだったとしても、です。
なぜこのルールが必要なのかというと、手を挙げない子の発言を認めた場合に、勝手に発言する子が増え、授業が成立しなくなってしまう、といったことが起こるからというのが一般的な考え方ですね。
私が現在勤務する学校も、自分勝手に発言をする子が色々な学級にいて、手揚げのルールを緩めると授業が成立しないと考えている教員もたくさんいると思います。
ですが、それはあくまで30人、40人を統率するから成立しないのであって、例えば家で一人で何かやっていると「ん?これどういうこと?」と呟いたり、「○○!」と当てずっぽうで答えたりしますよね。
型に嵌めないといけないという先入観を取っ払って考えてみたいのです。
「思ったことは好きに発言していいよ」
という授業スタイルをとった場合、どんなことが予想されるでしょうか。
好き勝手な発言をする子もいるでしょう。
良い発言をしても声が小さくて聞こえない子もいるでしょう。
デメリットも大きい反面、勉強が苦手だと自覚している子でも発言できたり、引っ込み思案な子でも発言できたりするかもしれません。
いろんな問題点も出てくるでしょうが、「学ぶ楽しさ」のために試行錯誤してみたいのです。「学びに繋がらない楽しさ」は徹底的に取り除くことは大前提ですよ。
今、学校に求められているものは「楽しさ」だと思います。
学校で勉強することが楽しいと思うこと、やはりそれが子どもたちの最も大きなモチベーションになるのではないか、というのが現時点での私の考えです。
ここで最大のネックになるのが、「わからなくていいのか」ということでしょう。
これまでの学校というのは「楽しくなくてもいいからわかることが大切」と考えられてきました。試験や進学を考えた場合に、いわゆるペーパーテストで点数の取れる学力、というのが求められてきたわけです。
そしてだからこそ一律に学習内容を進めることが大事でしたし、能力差は考えず一律に平均的に理解させることをしてきたわけです。
わからなければ楽しくない、という意見は最もだと思います。実際、私たち教員はその考えを基本として学校の先生をやっていますからね。
ですが、もうそれはいらないのかな、いうのが私の考えです。
極端な話、わからなくてもいいから楽しくすればいいということです。
楽しければ、自分でもっと知りたい、やってみたいと思って、自分で学んでいくのではないでしょうか。
多様な事柄を取り上げて、子どもたちの興味や関心を惹きつけ、動機づけをさせる場所、これが「学校」なのではないかと今の私は思っています。
とはいえ、公立の学校の場合、能力面で大きな差がある子が同じ場所で学習するという問題もあります。
システム的なものについては、後ほど機会があればブログで自分の考えを述べたいと思いますが、学級の児童を巻き込んで、学級の保護者も巻き込んで、クラスづくりをしていけばいいというのが考えです。責任を全員で取りましょうということですね。
今例えば自分が学級担任を持ったとしたら、この考えを基本として学級経営、授業をしていくと思います。
学習指導要領もあります。公立学校の教員として自分はいるわけですから、100%自分の考え通りにはいかないまでも、この考えのエッセンスを取り入れた授業づくりをしていきたいですね。
どうでしょう。
教員にもこういった考え方が必要になってきているのではないかと思っているのですが、賛同はなかなか得られないものですかねえ。