私たち教員が何となく持っている、これが良いのだという価値観があります。
ずっとあまり疑問に思うことなく教員生活を送ってきましたが、最近は今の時勢に合っているのだろうか、実は間違っていたのではないだろうかと思うようなことも出てきました。
これはあくまで私個人が思っていることで、どの先生方もそうではないと思うのですが、今回はこのことについて呟いてみたいと思います。
教員の持っている価値観 その1
「ノートは綺麗に書きましょう」
ずっとノートは綺麗に書くようにと指導してきました。
ですが、子供にもいろいろな子がいることがわかってきました。
黒板を同じように写すことやノートの使い方などに注力するあまり、本来つけられる学力をつけさせてやれなかったのでは、という思いがあります。
子供によっては書くことが苦手でも能力の高い子はいますし、逆に書くことによって理解できる子もいます。
特に高学年あたりは、本人の書きたいように書いた方が力がつくこともあるのではないでしょうか。
誰にでも同じように指導して求めることは、違うのではないかと思うようになったのです。
教員の持っている価値観 その2
「課題とまとめを必ず書かせる」
小学校の授業の場合、授業の中に必ず課題とまとめというのがあります。
特に指導案という授業の流れを書き記した進行表のようなものがありますが、これには必ず書かれていますし、黒板への板書もしっかり書くように若い頃から指導されてきました。
でも…要りますか?と思うことも増えてきました。
子供のためというよりは、我々教師がどの人が授業しても画一的にできるためのツールであって、子どもたちがノートに全員書かなければいけないものではないのでは、というのが最近の私の考えです。
教員の持っている価値観 その3
「授業のはじめと終わりの挨拶をしっかりと」
これは昔からずっと思ってきました。
大きな声で挨拶すればいい、みたいな風潮は、もともと性に合わないなあと思っていました。
私の理想とする学級での授業は、先生が真ん中に立ったら子どもたちが「あ、始まるな」と思って勝手にスイッチが入る授業です。挨拶がなくても、自然に授業が始まればいいのではと思うのです。
子供が学びたいと思えば必然的にそうなるのではないでしょうか。
挨拶をしてスイッチを入れるのは、強制的にやらせているようで、違うような気がするのです。
教員の持っている価値観 その4
「参観日では子どもたちが頑張っている姿を見せる」
子供ができていなかったり、うまく交流できていなかったりすると、保護者がよく思わないんじゃないか、クレームをつけられるのではないかという思いを持っている教員も多いと思います。
しかし、ありのままの姿を見せて、保護者に問題意識を持ってもらう方が大切なのではないかと思うようになりました。
残念ながら今は教員が言うよりも、実際に自分の目で確かめたり同級生の保護者に言われたりした方が、いろんな意味で効き目がある、と言うのが正直なところですからね。
この他にもありますが、またまとまったら書きたいと思います。
学校は、同い年のたくさんの子を集めて、同じような活動をさせる、言ってみれば特殊な空間です。
学校教育自体の存在価値が揺らぐ中で、私たち教員は当たり前を疑って、新たな価値観をしっかり考えていかなければならないなあと思うのです。