教員をやっていて、理不尽な保護者からのクレームに真っ向から戦いたい。
そんな思いを抱いた事がある現役教員は少なくないでしょう。
しかし多くの場合、教えている子どもたちでの影響を考えたり自分の家族のことを思ったりする中で、思いとどまっている教員も多いと思います。
そしてさらに、管理職に穏便に済ますように諭されると言うことも多いようです。
「もう少しこちら側に気持ちに寄り添ってほしいのに」
そんな気持ちを抱く教員も少なくありません。
なぜこうなってしまうのでしょうか。
『校長は雇われ店長』
管理職と一般教員の温度差を埋めようと思っても、なかなか上手くいかないのは、この一言に集約されている気がします。
普通の会社であれば、会社内で起こったことの責任は社長にあるわけです。
当然ですよね。
しかし、公立学校の場合は少し違ってきます。
もちろん学校長には大きな責任があるのですが、校長にしても、運に左右されるのです。
なぜこのようなことを言うかというと、校長は勤務校を選ぶことはできないし、共に働く部下も選ぶことができないからです。
自分の思いが伝わる部下かどうかは、行ってみないとわからないのです。
こういう所が「雇われ店長」と例えた所以なわけです。
そして2、3年で転勤、あるいは退職です。
改革にはエネルギーが必要です。限られた時間の中で、大幅に変えていくというのは、余程の力のある校長でなければ難しいと思います。
ですから何事もなく穏やかに、穏便に過ごしたい、と思ってしまうのも無理はないのです。
揉め事はできるだけ避けたいのです。その結果、保護者と教員のトラブルがあれば、どちらかというと物分かりの良い教員側が折れて対応する、ということの繰り返しになってしまっているのです。
まあ、昔は校長がリーダーシップを強く発揮しなくても、何とかなっていたのです。
校長先生にもいろいろな特徴がありましたが、昔は教員一人一人でも強烈な個性を持つ人もいました。
私より上の世代になると、もっと強烈でしたね。校長の言うことも、保護者の言うことも聞かないような一般の教諭も居たりして、それに文句を言う保護者もあまりいませんでしたね。まあ、成り立っていたわけです。
ところが、今の先生方は、ある意味おとなしい人ばかりになりました。
保護者の理不尽な要求は常にあるものだと思って対応していますから、冒険しなくなりましたし、個をあまり出さないようになってきている気がします。
逆に保護者は言いたいことをどんどん学校に言うようになりました。
保護者の言ったもの勝ちのような状況になってしまうのも無理ないですよね。
そんな「穏便に済ませたい」校長が多いものですから、校長を目指すことにあまり価値を感じない教員が多いのも事実ですし、それだけに、優秀な人=校長先生となっていない部分もあるのです。
校長になる前は、教頭として数年苦労に苦労を重ねます。
教頭は本当に激務であり、我慢の連続です。
学校で起こるトラブルのほぼ全てで矢面に立ち、あれでは「校長になったら、穏やかに過ごしたいなあ」と思うのも無理はないなと思いますよね。
校長として自分の理想とする学校作りができるようになり、教員の誰もが「校長になりたい」と思うようになれば、やりがいも増すと思います。
そんな変革の方向に向かっていってほしいですね。