ルールは何のためにあるのか、子どもたちが考えなければ、あとで手痛いしっぺ返しを喰らうのは、子供自身なのです。
それを気付かせるのが、教員と保護者なのではないでしょうか。
先日の出来事を少しお話ししたいと思います。
低学年の児童が、昼休みに体育館で遊んでいて頭を床にぶつけたという例でした。
鬼ごっこをしていて、上がっていけないと指導されていたステージに上がり、そこでタッチされて勢い余って落ちてしまったようです。
その際頭を床にぶつけたとのことでした。
小さなこぶができましたが、本人は大丈夫だということで、養護教諭が応急処置をし、冷やして様子を見ることにしました。
ただ、一度この児童の保護者と対応で揉めたことがあったので、すぐに連絡し迎えにきてもらうことにしました。
以前の対応では、状況を事細かに聞いてきて、知らないと答えようものならどうして答えられないんだと言って来るようなる保護者でしたので、本人とその関係者を集め、確認のため現場で事情聴取したのです。
何人かの子を集め、聞いていたところに保護者である母が迎えにきたというわけです。タッチした子は「ごめんなさい」と言って号泣していました。
その後、少ししてこの児童の父親から電話が来ました。
「どうしてくれる。前もあったのになぜまた怪我をしたんだ!」
「うちの子がルールを破ったのは関係ない。怪我させたのは学校の責任だ!」
「昼休みになぜ体育館で遊ばせる?管理できないならやめてしまえ!」
さらに、ここでは書けないような数々の暴言も管理職は言われました。
まあいわゆるモンスターペアレントというやつですね。
学校としても考えなければならない点はあるでしょう。
あらかじめ決めてあったルールを児童が破ったとはいえ、管理下内で怪我をしてしまったことは反省しなければなりません。
そして、なぜルールを守らなければならないのかということを、子どもたちにもっとしっかり理解させる必要はあったと思います。
しかし、です。
できるだけ怪我させないように学校生活を送らせるのであれば、極端な話、学校は昼休みなどに校庭や体育館には行かせないようにし、体育を無くし、人との接触や会話を極力させないようにすれば良いのです。
それで学校での怪我は確かに減るかもしれません。
ですが、学校から一歩外に出て活動をした時に、子どもたちはどうなるでしょうか。
守られ続ける子供の思考は停止しています。失敗から学ぶこともなく、何が危険で何が安全なのか考える機会もなく育った子が、一人になった時に正しい判断ができるでしょうか。
そんなことを言っても通じない保護者が一人でもいれば、学校はその対応をしなければならないのです。
次の日に保護者に学校で面談した際にも、
「すぐに保健室から戻した、そんな判断が医者でもないあんたたちにできるのか」
「うちが特別だからあんな風に事情聴取するのか。相手の子を泣かせてまで」
そんな理屈を先ほどの児童の保護者は述べたそうです。
校長が対応し、保護者の考えを聞いた上で、学校としてはしっかり未然防止に努めるが100%全て防げるわけではないこと、子供は失敗しながら学んでいくことがあるということなどを、やんわりと話したそうです。
同席した担任や養護教諭などは、かなり言いたいこともあったようですが、グッと抑えて対応したようです。
この保護者もこの面談で怒りを収め、今回の件は終わりましたが、釈然としない思いは残りました。
こういったことが日常的に起こる可能性があるのが、小学校の現場なのです。
学級担任がいつ保護者にこのようなことを言われてもおかしくない現実が、そこにはあります。
多くの心優しい、生真面目な教員は、心が折れてしまうのです。またそこまでいかなくても、指導を諦めてしまったり、明らかに無気力になったりする先生を何人も見てきました。
小学校の教員は底辺校出身が向いているという記事を以前書いたことがあります。
例えば私は、そうなのですが、昔からガラの悪い地域で育ってきましたので、先程の暴言などにも割と免疫があるんですよね。
逆にどこかで機会を見つけて、目にもの見せてやろうと考えるタイプなのですが、多くの先生方はそうではありません。
難しいと思いますね。
ただ一つ言えることは、稀にこのような保護者がいたとしても、学校として向かう方向性をこのような保護者に合わせてはいけないということです。
校長や教頭がどのくらい頼りになるかにもよりますが、保護者の意見を鵜呑みにしてしまうようでは収拾がつかなくなるのです。
理不尽な要求とは戦わなくてはならない。
そんなことを感じた先日の出来事でした。