小学校教員kosukedadの日記

思ったことをわりとはっきり書いていきます。毒舌かもです。

先生に向いているのは底辺校出身?

長年教員をやっていると、いろいろな学校を経験します。毎日が笑顔で過ごせるような平和な学校もあれば、トラブルや揉め事が絶えない、毎日しかめっ面で過ごさなければならないような学校まで、本当に千差万別です。

 

私のような吸いも甘いも知っている人間になると、それぞれの学校での自分の立ち位置を考えながら仕事をするのですが(そりゃ平和な学校の方が気は楽ですが)、自分がそのようにできるのは、ある理由があるからではないかと思っています。

 

それは、自分自身が小学校や中学校時代を「底辺校」で過ごした、ということです。

 

「底辺校」という表現が適切かはわかりませんが、私自身は小学校も中学校も、日々問題が起こる、学力もあまり高くない学校で過ごしました。乱暴なクラスメイトもいて、教師に殴りかかるような生徒もいました(これは中学校の時ですが)。そんな学校でも頑張る子はちゃんといましたけどね。当然いじめなんかも普通にあって、自分がその対象になることもありました。

 

とまあ、こんな経験をしてきたのです。その上で高校、大学への進学の中で優秀な友達にも出会い、「こんな奴もいるんだなあ」と、変に感心したりもしたものです。

 

つまり、言葉は悪いですが、上と下を共に経験したことが今に生きていると思っているのです。

 

小学校や中学校の教員は、多様な人間を相手にするため、精神的なタフさが本当に求められます。極端な話をすると、同じ教室という空間に、将来東大に入る子と、ヤクザになる子がいることだって考えられるのです。子供だけではありません。保護者については同じ学級の親同士でも、すでに全然違う世界にいるかもしれません。その中で問題が起きたときは対応を考え、解決していかなければならないのです。

 

その際、相手によって、言葉や雰囲気を使い分けなければ、うまくいかないことがあります。この時、先程の経験が生きてくるのです。

 

私に限らず、少年少女時代になかなか難しい(生徒指導上という意味)学校にいたという先生は、生徒指導の面で非常に頼りになる人が多いと思います。

 

逆に育ちの良い先生にありがちなのが、ガラの悪い保護者に対してどう接してよいかわからなかったり、インテリの保護者に論破されてしまったりといったことです。

 

最近は若い新採用の教員が毎年入ってくるようになりました。みんなとても優秀で人間的にも素晴らしいのですが、私の学校では苦労する先生が多いです。彼らのほとんどが陥ってしまうのは、学級の子に舐められてしまう、ということです。なかなか厳しい指導ができないのです。

 

それはなぜか。自分自身が厳しい指導を受けたことがない、またそんな様子を見たことがないからです。言葉である程度説明すれば、聞いた全員がそれを理解できるようなできるような環境で育ったため、採用されて学級担任となり、自分が指導する場面で、例えば話を聞かない児童がいたときにどう対処すればよいかがわからない、というわけです。

 

そして、なかなか学級担任1人では解決できない事例が多くなっていくのです。このような場合は、学年主任や管理職が手助けしながら、指導の仕方を教えていきます。時には実際に指導している姿を見せることで、「こうすればいいんだ」「こういう時は1人に対して、こういう時は全体に対して指導するんだな」などということを学ばせていくのです。

 

まあこのように苦労しますが、私の勤務校で新採用の時期を乗り切った先生方は大きく成長します。この先どんな学校に行っても大丈夫、という自信をつけて転任していく先生がほとんどです。難しい児童や保護者への対応を繰り返すうちに、精神的なタフさを身につけ、スキルを身につけることで自信につながっていくのでしょう。

 

今、自分が勤務する学校の児童にも、学校の先生になりたいという児童が数名いるようです。是非なって欲しいですね。精神的には絶対にタフなはずですから(笑)。