私は小学校に勤めています。ですから小学校1年生から6年生まで、6歳ぐらいから12歳ぐらいまでの子に対して接することになります。これって結構な大きな幅なのです。
1年生というとついこないだまで幼稚園保育園児です。お家の人に送り迎えをしてもらって園に通い、文字もやっとひらがなで自分の名前が書けるかぐらいの児童が多いです。
一方で小学校6年生となるとどうでしょう。今の子供は体つきも立派になり、発育も相当早いです。大人のような体つきをしている児童もいます。また、この情報化社会ですから、大人顔負けの知識を得ている児童もいます。
このように小学校の時期の6年間というのはかなり違うわけですが、共通している点は「子供である」ということです。
もちろん、「この子は本当にすごいなあ」と心から尊敬する場面もあります。小学校はいろんな子が混在しているので、自分よりも頭のいい子も運動のできる子も当然いますからね。ただ、多くの児童は、自分だけの理屈で動いていたり、知識を言い訳として使っていたりする場面がよくあるのです。
そんな時にどう対処するのかが教員の腕の見せ所となるでしょう。
自分の間違いを認め、納得させられなければ、指導は伝わらないのです。
例えば1年生に、「勉強なんかめんどくさい」と言われたら何と答えますか。同じことを6年生に言われたら何と答えるでしょう。また、同じ1年生でも、ある程度勉強のできる子と読み書きもなかなかおぼつかない子がそれぞれ聞いてきたら、同じ答えを用意しますか。
答えはノーだと思います。その子にとってわかる言葉、伝わる言葉、納得できる言葉は違うはずだからです。
ですから、はっきりとした答えがないのです。
ではどのようにすれば良いのでしょうか。
やはり一番大切なのは、「その子を理解する」ということに尽きるのでしょう。
「勉強がめんどくさい」と言ってきたら、「どうして?」と聞く。これは誰もが聞くでしょうが、ここで大事なのは、「本音を引き出す」ことだと思います。
その子が面倒だと思う理由はどこにあるのか。学習内容が分からないから嫌なのか、生活が乱れて睡眠不足だから面倒なのか、何かに反発したいからなのか、別にやりたいことがあって本当に必要ないと思っているのか…その本音は挙げればキリがないかもしれません。
しかし子供も人を見ています。先生が「こう持っていきたいんだな」という気持ちが見えてしまうと、本音を語らなくなるのです。「こうやって答えればいいんでしょ」みたいな気持ちで言葉を選んでいくことになっていきます。
結局、本音を引き出した後でないと、何を言っても「先生が正論を言っているだけだ」で終わってしまうと思うのです。心に響いていないのです。
正直に気持ちを話させた後に、人生の先輩として、こんな考え方もあるよ、こんな道もあるよというアドバイスをすれば、多少なりとも心に響いていくのではないかと私は思っています。
また、本音を引き出した後、その本音が自分の理屈だけで言っており、考えを正したい場面も出てくると思います。
高学年のケースですが、私は最近はこのように返していますね。「あなたの考えはわかった。今言ったことをお家に帰って、お父さんお母さんに話してみな。あとで先生はお家に電話してその後どういう話になったか聞くからさ」
だいたいの児童はこう言われると「うっ」となります。都合が悪いからです。この場合は、自分の言っていることが間違えているかもしれないということに既に本人が気づいていますよね。そこで考えの甘さを指摘していくのです。
こうならない場合は、実際に後で家庭に連絡を取って、お家の人と今後の指導の仕方を話し合えばいいわけです。
これはあくまで一例で、当然、家庭に問題がある児童にはこれは通じません。話の持っていき方、指導の仕方は児童の数だけあると言っても過言ではないと思いますし、そう思うべきだとも思います。
自己肯定感の低い児童に対して、道標のような存在になりつつも、これが全てじゃないから自分でも探してみな、と言ってあげるような懐の深さも持ちたいものだなあと思います。