先日ある方のお話を聞いていて、なるほどなと思ったことがあります。
今回はそんな話をしたいと思います。
算数などの文章題を苦手とする児童ってたくさんいます。
そういう子にどんな支援をしてきたか、自分の胸に手を当てて考えたときに、恥ずかしく感じたことがあったのです。
その方はお話の中でこのように話していました。
「算数の文章題って苦手な子いるじゃないですか。そういう子って、文章を見ていなくて数字しか見ていないんですよね。」
公立の小学校の文章問題は、必要な数字しか入っていない問題が多いです。
いらない数字が入っていないからこそ、数字だけ見れば組み合わせて式を作ることができるのです。
まして例えば「たし算」の単元であれば、たし算の式になることはわかるわけです。
たし算の文章題でその文に数字が二つしかなければ、問題文を理解しなくてもその二つの数を使って計算さえできれば正解できるのです。
そして、それを教師や親は褒める。
そんなことをしていると子供はこれでいいんだと学習してしまう、というわけです。
文章は理解しなくてもいい、と。
いやあ、まさに公立の学校の先生方はほとんどがこの失敗をしてしまっているのではないでしょうか。最初に恥ずかしく感じたと書きましたが、私も思い当たります。
「テストではわかんなかったら、ある数字を組み合わせて勘でもいいから式にしなさい」
なんて言っている先生方もいたりしますからね。
本当の意味での読解力を付けるには、やはり「わからないことがわかる」ということが重要です。
これは学んでいる本人も、教えている教師や保護者も大切ですね。
どこがわかっていないかを理解することで、学び方も教え方も変わってくるのですから。
問題文の中でよくわからないところはないか、丁寧に聞くことが必要なのでしょう。
さて、文章題を理解するのに最も効果的な方法として挙げられるのは、
「音読すること」
だそうです。
声に出して読むことで、数字以外の情報が頭に入ってくるのだそうです。
読んであげるのでもいいそうです。
単純ですが、大事だなと思います。
そういえば私自身は子供の頃、問題文を絵に描いていました。
速さの問題で、電車とトンネルを描いたりしていました。
これも効果があるのかもしれません。
そして何より思うのは、文章題を面白いと思えるか、ということだと思います。
文章題に出会ったときに、わくわくするか、解いてみたいと思うか、そんな出会いをさせたいものだと思います。
文章題が嫌いになる原因って、できなくてイライラするというのが経験上あるような気がします。
「今日の問題は学級全員の中で一人解ければいいから」という授業の時間を設定したり、「5問出して一つでも解けたら花マル!」みたいな時間をたくさん設定したりしてもいいのかもしれません。
小学校の場合、全部できなきゃいけない、みたいな考えがありますが、一度その常識的な呪縛を取り払って取り組ませてみると、子どもたちも変わってくるような気がします。
機械的に解くということより、たくさんの事柄の中から自分にとって必要な情報を取り入れることが大切な時代です。
文章題への取り組ませ方で、そんな力もつけていきたいものですね。