学校現場では、授業の中で「問題解決型の学習」というものが行われています。
これは、ある課題があり、その課題に対して仮説や予想を立て、実際に確かめたり調べたりして解決していく、というものです。
私が勤め始めた頃からすでにこの考えは定着していましたが、最近は特に結果ではなく過程を大事にする傾向が強くなってきています。
「問題を解決する能力」が大切なのはいうまでもありません。
しかし、問題を解決する方法は、昔と今とでは変わってきており、いわゆる「既習」と呼ばれるこれまで学習してきた知識を活用することが多かった以前の方法から、習っていないことも含め、わからないことは自らの手で調べて解決方法を模索する方法へと変わってきていると思います。
調べれば何でもわかる時代になりましたからね。
自分もそうなのですが、スマホで調べ物をすることが1日に何度もあります。
昔ならその度に辞書を引いたり、人に聞いたりしたものです。もちろん今でも人に聞くことはありますが、自分でちゃちゃっと調べる機会が格段に増えましたよね。
そんな中で、私が思っていることは、これから必要になる能力は、「問題を解決する能力」ではなく、「問題を見つける能力」なのではないかということです。
課題があれば、それを誰もが解決できるのです。
誰でもできることにそれほど価値はありません。
むしろ、みんなが知りたいと思う「課題や問題」を見つけることにこそ価値を感じるのです。
学校現場では、まだまだ受験等もありますから知識偏重な部分はあるかもしれませんが、いざ社会に出ると、いかに効率よくこなせるか、調べられるかが大切だったりします。その際、課題を解決するには調べ方を知っていれば良いのです。自分が知らなくても良いのです。
言われたことを作業としてやるだけでは、そのうちAIに取って代わられてしまうのかもしれません。新たなアイデアを生み出したり他との違いを生み出したりしていかなければ、自分の価値は証明できないのです。
その意味でも「問題を見つける力」がとても大切だと思います。
日常のあらゆる面にAIが活用されていく時代です。
「何が問題か」
「今わからないことは何なのか」
「知りたい、確かめたいことを見つける」
自分自身もこの視点を常に持って生活していこうと意識しています。
そうすると、仕事をしていて効率が悪いなと感じたり、もっとこうすればいいのにと思ったり、そもそもどうしてこんな行事があるのだろうとか、根本的なことにも考えが及ぶようになってきます。
とはいえ、言うのは簡単ですが、問題を見つけるためには知識が必要です。経験も必要となるかもしれません。
日々の積み重ねの成果として、問題を発見することにつながると思います。
学校も、これからは結果を求める授業だけでなく、こういった「問題を見つける力」を培っていくような内容が必要になるのかもしれません。「総合的な学習の時間」は、そう言った意味も持っているはずですが、全員分が揃って掲示できるような成果物が学級担任は欲しくなります。そうなると画一的な学習になりがちなんですよね。
そんな画一的な学習から脱却することからスタートしてみてもいいかもしれません。
「学ぶ」という行為自体にはあまり違いはないのかもしれませんが、「解決するため」に学んでいるのか、「新たな問題を発見するため」に学んでいるのか、その心の持ち方で身につく力がかなり違ってくる気がします。
これからの予測不能な時代を生き抜く子どもたちのためにも、変化の大きい社会に戸惑うことのない「問題発見能力」をつけさせていきたいものだと感じるのです。