学校教育は何の役に立つのか?
私のブログでも何度か話題にしてきたことではありますが、Twitterなどでも話題にしてそれぞれが持論を述べているようです。
まず大前提として、このことについて考えるのはとても大切だと思います。
何も疑問を持たず、「学校には行くものだ」「それ以外の選択肢はないのだ」という考えは今の時代には合いません。
意味を理解した上で、学ぶことが必要であることは明確でしょう。
その上で、何のために自分は学校で学ぶのか?ということが明確であればあるほど、力がつくと私は考えます。
そしてこの答えは一つではありません。それどころか無数にあると言っても過言ではないでしょう。
先ほど挙げた記事の中で、四則計算が出来ないと仕事をしていて間違いに気づかないし、結果的に部品を余らせたり、余計な部品を注文したりしてしまうという話がありました。
これは本当に基本的なことですよね。
当たり前の計算が出来ないことは、やはり仕事をする上では困る場面があるでしょう。仕事ができる範囲が狭まることを意味しますね。
学校教育に批判的な記者に対して、校長が切り返した言葉というのも説得力がありました。
記者に対して「あなたがインタビューで話したり聞いたりすること、メモを書くこと、要旨をまとめたり文章を添削をしたりすることも学校教育の成果では?」と返した、そんな話が反響を呼んだそうです。
確かにスカッとする返答ですよね。
知的で説得力があってウィットに富んでいます。
言われた記者も納得していたようです。
タレントの武井壮さんが、「スポーツで食べていくから学校の勉強なんてどうでもいいですよね?」という声に対する持論を述べたツイートというのも説得力があります。
武井さんは学校の勉強の「必要な知識を他の生徒より手にすればトップが取れる」という性質をあげ、「(学校の勉強のように)戦うルールと相手が分かってて負けるやつなんてスポーツでも勝てねえよ」と一刀両断したそうです。
さらに学校のスポーツも勉強も『しなくてもいい』ものではなく、やればやるだけ人生のプラスになる武器になんだ、とも述べ、スポーツだけでなく、学歴や人間性、人間関係などさまざまな要素の総合点によって進む道が決まっていくのだと述べています。
確かにスポーツも考えてやる人の方が成果が出せるように思いますよね。
このように、それぞれに「学校教育が役に立つことの意味」を持っているのですが、どれも正解でもあり、一つの正解には辿り着かないですよね。
それが、学校教育の意味なのだと思います。
そんなに浅いものではないこと、自分で意味を見つけるものであるということ、逆に言えば、考えなければ、学校教育はあまり意味のないものなのかもしれません。
さて、私も最近、とても納得する「学校で学ぶことの意味」を聞きました。
ある校長先生が、子どもに「どうして勉強するの?」と聞かれたら、必ずこう答えているのだという話を聞いたのです。
それは、「家族を幸せにするためだよ」というものでした。
家族というのは、今の家族、つまり自分の両親や兄弟を指すという意味と、将来自分が築く家族、つまり配偶者や子供も指すのだそうです。
自分はこれまで、学ぶ意味を問われた時には、どちらかというと「選択肢を広げるためだよ」のような答えしかできなかったので、こういった優しさに満ちた表現を聞いて、
「ああ、自分はまだまだだなあ、自分中心ではなく、誰かの視点に立って考えられる、懐の深い人間になりたいものだ」
と思ったのでした。
みなさんは「学校教育は何の意味があるのか?」と聞かれたらどのように答えますか?