学校というものの役割が何なのか、考えさせられることがあります。
私はよくビジネスに関する話などを動画サイトで見ることがあるのですが、そんな動画を見ていたときに、こんな話を聞きました。
『自分の子供が好きだった部活を辞めると言い出した。
どうして辞めるの?と聞いたら、休んだ時に「なんで休むの?他の子は来ているのに」と先生に言われるのが嫌だからということだった。
逆にこれまで嫌がっていた塾に通う回数を増やすと言ってきた。どうして?と聞いたら「来ただけで、よく来たね」と言ってもらえる、ということだった。』
という話です。
まあこれをビジネスや経営の話に繋げると、好きな仕事でも上司次第で辞めてしまうし、あまり好きではなくても上司の言葉で続けることもできる、という話だったわけですね。
私はこれを聞いた時、確かになあと思ったのです。
学校(先生)は子供が来なくても困らない。
塾(塾の講師)は子供に来てもらわなければ困る。
この違いは大きいなあと。
そしてこうも思いました。
では学校は子供に来てもらうために存在しなければならない場所なのか、とも。
つまり、
子供にサービスする存在として学校はあるべきなのか、
子供に負荷をかけても存在するべきものなのか、ということです。
私的には、少しずるい言い方ですが、その両者であると考えます。
もはや現代社会においては、学校は子どもを預かる場所としてあると言っても過言ではありません。
私もそうですが、夫婦ともに働きに出ていて、日中は子どもを見ることができない家庭が多いのは言うまでもありません。
その点においては、安全に子どもを預かる場所として、そして子供が居心地良く過ごせる場所として存在する必要があると思います。
しかし、集団で過ごすことになる中で、お互いが気持ちよく過ごすためのルールを学んだり、時には人と比較したりされたりしながら、生きていく上での耐性を身につけていく場でもあると考えています。
そして私のような教員は、その両面を意識して教育活動をしていかなければならないのです。
ですから、
楽しいと思える仕掛けがたくさんある授業をすること、
所属感や充実感がある学級作りをすること、
人を否定するのではなく、行為を否定する指導をしっかりと行うこと、
社会で生きていく上でのアドバイスを人生の先輩としてすること、
これらが求められていると思います。
もう一つ、先ほどの動画で言っていたことがありました。
自分の子供が部活を休むと学校の先生から嫌味を言われるという話の続きです。
『私の子供は、先生がどうして休んだら叱るのか知っている、と言った。なぜ知っているか聞いたら、「だって先生自身が休まないからだよ」と言ったのだ』
つまり、教員自身が自分の私生活を犠牲にして部活をやっているのだから、休む子に対して良い気持ちにならないのは当然のことだ、と言っているのです。
これはその通りだと思いました。
私たち教員も、気軽に休めるようになれば、つまり、一人の負担が大きくならないようになれば、もっと心穏やかに過ごせる空間に学校はなるはずだと思うのです。
学校単体で余裕人員はありませんし、この先もそうなる可能性は低いでしょう。地域や学区で補欠に回れる人材を確保するとかなら、もしかしたらできるかもしれません。
そんな仕組みができたら良いのですが…