小学校教員kosukedadの日記

思ったことをわりとはっきり書いていきます。毒舌かもです。

指導の揚げ足をとる親

学校現場での指導がどんどん難しくなっているという話はこれまでもしてきましたが、今回もその話をしていきたいと思います。

 

特別支援学級の高学年児童A。自閉・情緒障害学級に在籍しており、自分の気持ちをコントロールできずにトラブルを起こすことがある。今年に入ってからは、ブランコで目の前に低学年の女の子がいるのに、靴飛ばしをしてその児童の顔に靴が当たる(大事には至らなかった)、中学年の女子児童に性的な言葉を言って抱きつこうとするなどがあった。また、この児童は指導されると心を閉ざしてしまう傾向があり、教員の指導を受けると次の日に「学校に行きたくない」と休むことも何日かあった。

 

なかなか指導するのが難しい子です。話の内容がきちんとわかっているのか、物事の善悪の判断がきちんとついているのか、まずはそこを確かめなければなりません。よくある方法として、加害児童が被害児童に謝って終わり、みたいな方法がありますが、意味がわからないまま謝ったところで何も意味がないのです。Aさんと落ち着いてゆっくり話をして、自分がやったことの何がいけなかったのか、どうしていけばよいかじっくり話をし、理解させていく必要があります。

 

これはこれで難しいのですが、この児童については、保護者への対応がもっと難しいのです。

 

相手がある事案に対しては、本人だけの指導では終わりません。怪我をした場合、心に傷をつけた場合などは、保護者に連絡をして相手に対してどうするか、意向を確認することになります。

 

ここで、保護者の論理のすり替えが始まってしまうのです。

 

例えば、学校のブランコで起こったのなら、そういう状況を作った学校側にも責任があるとか、指導をした際に使った教員の言葉がおかしいのではないかとか、学校に行きたくないと言われると困るから指導の仕方を考えてくれとか。いや、そこじゃないでしょ、という話です。

 

まあ、これまでも何度もこのようなトラブルを起こしてきたこともあり、その度に呼び出しをされる状況に苛立ち、「またか」という思いもあるのかもしれません。未然に防ぐ手立ては無かったのかと思う気持ちもわかります。

 

しかし、特別支援学級の児童であれ、いずれは社会に出ていかなければいけないのです。やったことをしっかりと受け止め反省すること、指導されたことを自分の中でしっかりと整理し、次に生かすこと。学校という小さな社会の中だからこそ経験できることでもあります。今のうちにたくさんの経験を積んで、社会に出た時に一人前になっていることが大切なのです。

 

ところが、保護者がこのようなタイプだと、指導する側もやりにくく、例えば、小さなことでも事実関係を明確にするために証拠を集めたり、指導の手順を教員同士で考えたり、実際にひと手間ふた手間やることが増えてしまうのです。結果的にタイミング良く指導することができなくなります。また、場合によっては「あそこの親は面倒だからこのぐらいは放っておこう」ということもありえます。

 

その結果損をするのは、その一つの事案で何かを学ぶことができるはずだった児童なのです。

 

私の勤務する学校では、先生方はどんな保護者に対しても謙虚に接し、担任、学校、保護者の信頼関係をしっかり築いていこうと努力していますが、それでもなかなか難しい保護者がいることも事実です。長時間の電話、家庭訪問、面談…遅くまで保護者対応に追われている先生も多くいます。きちんとやろうとすればするほど、時間も労力もかかってしまう、それが学校という現場なのでしょうか。