「相手のことを考えるんだよ」
子どもたちによく話すセリフでもあります。
子供って、まずは自分、という考えをしますからね。ある意味当然のこととも言えますし、発達段階を考えれば当たり前に通る道とも言えます。
ところが、私たちが教員という仕事をしていて思うのは、この段階を通ってきたはずの大人が、できていないなと感じることがなんと多いことか、ということです。
最近は特に、相手のことを考える前にまずは自分達の思いが優先、みたいな保護者が多くなっている気がします。
今回はそんな話をしていきます。
我々教員も、保護者に対して連絡するときは、相手の仕事の時間であるとか、話す機会を持つタイミングなどについてかなり慎重に考えています。
そんな中で、私たちが一番虚しさを感じるのは、保護者がこちらの事情を一切考えていないなと感じた時です。
「放課後時間を作ってくれませんか?」
と、面談することを提案したのは確かに担任かもしれません。
しかし、なぜ面談が必要になったのかと考えてほしいのです。
学級の中で問題があったり、発達の面で心配な点があったりして、それを伝えなければという思いがあったからこそ、面談に至っているわけです。
それなのに、そこに至るまでのいきさつは何も想像せず、自分の言いたいことだけ言う保護者の何と多いことか。
そうなったのは相手の子供が悪いから。
先生の指導が行き届いてないから。
家では良い子だし、何も困ってませんから。
私自身はそういう状況になることは殆どありませんでしたが、最近いろいろな先生方の様子を見ていると、本当に可哀想になるくらい保護者に言いたい放題言われている担任もいます。
反論したいことはたくさんあるのですが、結局我慢するのは担任です。
保護者が学校に対して不信感を持たないように担任は対応するしかないのです。
ですから、職員室では、
「大人を変えるより子供を変えた方が早いよなあ」
なんて会話がよく聞こえてくるのです。
こんな状況で気持ちよく子どもたちと接することができるでしょうか。
子供の指導はともかく、非常識な保護者の相手を若い先生方がしているのを見ていると、何とかならないかなあと思うのです。
そりゃあ、保護者にしてみれば、自分よりも格段に若い先生に自分の子育てのことをとやかく言われたくないという気持ちはあるでしょう。
ですが教員は、社会経験は少ないかもしれませんが、それなりに専門の知識を身につけているのです。
少なくとも私たち教員が言ってはいけない言葉があるように、保護者が発言する言葉にも、最低限の配慮があって然るべきだと思うんですよね。
ただ、確かに学級担任の力一つで、トラブルが格段に減ったり、子供が落ち着いたりすることはあります。
だから保護者にしても、「去年の先生だったら」「この先生だからこうなるんだ」という考えに至ってしまうのも完全に否定はできません。
今後の見通しを考えると、これから採用される教員は低い競争率の中で入ってきます。
語弊があるかもしれませんが、優秀な人材はなかなか入ってこないことも予想されるのです。
学級担任を複数名でする、あるいは定期的に入れ替える、そんなことが簡単にできるような形になっていかないと、これからますます難しくなっていくような気がします。
「チーム学校」という体制、まさにそれがこれからは求められるのではないかなと思うのです。