働き方改革について述べてきましたが、3回目になってしまいました。今回は若い先生方の資質の向上について考えていきたいと思います。
教員の働き方改革は必要なことですし、この方向で進んでいくことは間違いないところです。
ですが、私は若い先生方の資質の向上はどうなっていくのかな、という漠然とした不安があります。
学校の教員というのは、組織の中で勤務していますが、学級担任は子供が学校にいる間のほとんどを自分の学級の教室で過ごします。
教室の中では、極端な例えをすると担任は社長みたいなもので、自分の指示で学級は回りますし、もし間違ったことをしていても、誰もその時点では修正してくれません。
これが年間を通して続いていくのです。
初任者は初任者研修という名の下で、担当教諭が学級に付いてアドバイスするなどしますが、ずっと張り付いているわけではありません。
それも2年目になると無くなってしまいます。
よく学校の先生は世間知らずだ、と言われますが、大学を出たばかりの若者がこの状態になるのですから、そう言われるのも仕方のないことかもしれません。
私自身のことを振り返ってみると、初任者や数年目の頃は、自分がやっていることが果たして正しいのか、間違っているのではないだろうかと、不安に思っていたものです。
それを解決してくれたのは、放課後の職員室での先輩の先生方や歳の近い者同士での会話やアドバイスでした。
夜遅くまで悩みを聞いてもらったり、こんなふうにやってるよと実践を紹介してもらったりしながら、少しずつ自分自身の学級経営や授業のスタイルなどを確立していったような気がします。
現在私が勤務する学校でも、同じように若い先生が先輩に相談したり、経験年数の浅い先生同士で悩みを語り合ったりする様子が見られます。溜まったストレスを吐き出す場としても機能しているようです。
今進めようとしている働き方改革は、こういった若い先生が吸収する場を奪ってしまうのではないか、溜まった思いを吐き出す場をなくしてしまうのではないか、という危惧を私は少しだけ抱いているのです。
勤務時間内にこのような場を確保するには、学年の先生方が同じ時間帯に空き時間を作るとか、児童が早く帰る日を作り、会議などが入らないフリーな時間を作るとか、そんな方策が必要なのかもしれません。
なかなか難しいとは思いますが…
また、学校現場の仕事内容は、行事などで特にそうですが、数字で測れないことに価値があることも多いです。働き方改革を進める中で、そのような曖昧な価値観を若い人たちにどう植え付けていくか、難しいところだと思います。
まあ、こういう私の考え方も古いのかもしれません。
もしかすれば、行事を思い切り精選することで、そのような価値観そのものが要らない現場になって行くのかもしれないからです。
働き方改革の推進のためには、今私が言っているような考え方を排除していかないと機能していかないのかもしれません。
学校というのが大きく変わるきっかけになることには違いないので、これも時代の流れだとするのならば、それこそ国、県、市町村がリーダーシップを発揮して、思い切った舵取りをして欲しいと思います。
本気でやるなら、教員達もきっとやるはずです。
3回に分けて述べていく形になりましたが、働き方改革については、また自分なりに考えが浮かんだら語っていきたいと思います。今回のシリーズは一応終了ということにします。