小学校教員kosukedadの日記

思ったことをわりとはっきり書いていきます。毒舌かもです。

学校の中で有名になる子 そうで無い子

学校現場にいると、職員全員に名前を知られている子もいれば、担任を受け持つ学年でも名前をよく知らない子がいる、なんてことがあります。

 

まあいわゆるみんなが知っている子は、生徒指導上の問題があったり、家庭的に心配な面があったりしますが、名前も知らないような子がたくさんいるということも確かにあるのです。そういった子に対して、我々教員は正しい評価ができているのでしょうか。

 

自分の考えをはっきり出す子に対しては、ある程度対処しやすい部分もあるでしょう。でも色々考えているのに、それを表に出すことなく過ごしている子の方が圧倒的に多いはずです。定期的な教育相談などで話は聞くものの、そこでも思っている事が言える子は多くはないでしょう。本来我々教員は全員に同じようなバランスで接する必要があるはずです。しかし現実にはできていません。

 

なぜこのようなことを言うかというと、実際に先生方の時間のバランスが大きく崩れているからです。学級に30人の児童がいるとして、特定の2•3人の児童に放課後の時間の8割を取られるとかがザラにあるわけです。不登校の子が一人いれば毎日のように電話をかけ、面談します。問題行動のある子がいれば、指導の方針をケース会議にかけ、保護者に伝えるなどします。

 

また、保護者がうるさく介入してくる家庭には学校は慎重に対応します。必然的にトラブルにならないように担任や管理職が気を配るようになったり、小さなことでも早め早めに対応したりします。本当はクレームに近いようなことを言ってくる保護者に対しては、逆に冷たい対応をすれば良いと思うのですが、実際の現場は100%それはしませんね。

 

このような場合、結果として言ったもん勝ちの状況になるのです。常識を知らない保護者に対して、指導するのも学校の役目だと思うのですが、みなさんはどう思うでしょうか。教員も社会を知らないと言われますから、保護者への指導を学校が行わないまでも、学校から「こういう保護者がいるんだけれど、指導をお願いできますか」と相談できる機関があればと思うんですよね。

 

ただし、これらのことをわかった上で、バランスの良い学級経営をする教師もいます。センスの良い教師は、問題のある子を育てるには、周囲の人間を育てる事も大切だということがわかっているのです。教師一人の目では絶対に全てを見る事ができません。必ず教師の目の届かないところがでてきます。それを補う事ができるのは同じクラスの子どもたちなんですよね。

 

このような教師は、学級を持って時間が経つにつれ、特定の児童に時間をかけるということは減って来ます。結果として、誰に対しても平等に見る事ができるようになるわけです。これが誰でもできると良いのですが、なかなかそうはいきません。ですから、そのノウハウを少しでも若い教師に伝えられるように、場を作っていかなければならないと感じているのです。